魔光少女 プリズム響

PHASE=011 馬脚 Dark Side of the Moon

昨日の暴風雨がまるで嘘のように空は晴れ渡っていた。

しかし——澄みきった青空とは裏腹に、紅光響は気重な足取りで私立聖光学園中学校の屋上階段をのぼりきった。

鉄扉を押し開け、屋上へ出る。
中天からやや傾きはじめた太陽のまぶしさに目を細めながら、ひとりの少女が柵に背を預け、自分を待ち受けているのに気がついた。
黒森ゆう子。
いつもと変わらぬショートカットの明るい笑顔がそこにある。

でもいま先輩には、ひとつの疑いがかかっている。

それは痛々しく左頬に張り付くガーゼが証明していた。

先輩は《ジェイド》を一網打尽にする作戦《オペレーション・パワー・グリッド》を妨害した、黒い魔光少女なのではないか——?

昨日、響は黒い魔光少女との戦いで彼女の左頬を負傷させていた。

はたしてこれは偶然か?

のみならず、先輩は黒い魔光少女が姿を現した現場に〝必ず〟居合わせていた……。

ショートカットの髪型も。
すらりとした長身も。

すべてがゆう子先輩と合致する。

『偶然などではない』
今朝、先輩の左頬を見た《アンコ》は断定するように媒質通信[オプト・リンク]で言った。
『彼女が黒い魔光少女だ』

『しかも先輩のお父さんは桂イノベーションパークの研究所に出資している』
すみれが捕捉するように言う。

朝の学活を終え、一時限目の授業がはじまるまでの休み時間に響たちはオプト・リンクで話し合った。

《オペレーション・パワー・グリッド》の要、恒星間宇宙船《ダイソン》を改造した仮設誘雷塔は、外宇宙のテクノロジー反[ブラック]レーザーによる攻撃を受けた。

そのレーザーが放たれた場所が、桂イノベーションパークだったのだ。

『そもそもイノベーションパークの黒森研では、再生可能エネルギーの研究を行っていたようだ。
光子[フォトン]の根源的な完全制御を標榜[ひょうぼう]し、超効率の太陽光発電デバイスを開発していたんだ。
ところが、数ヶ月まえから〝新たなフォトニック結晶体〟の開発に力を入れはじめている……』

『〝新たなフォトニック結晶体〟が、《ジェイド》だって言うの?』
つぎつぎとゆう子先輩が黒い魔光少女であるという状況証拠が積まれていくなかで、響は《アンコ》を責めるようにリンクした。

『黒い魔光少女が、敵かどうかもまだわからないじゃない。
彼女はこれまで、モグラ《ジェイド》やイルカ《ジェイド》を、私たちに代わってやっつけてくれたし……』

『魔光少女と《ジェイド》の戦闘データを収集することが目的だったとしたらどうだ? 〝新たなフォトニック結晶体〟のために』
《アンコ》の反論に響が押し黙る。

『いずれにしろ、黒い魔光少女は《ダイソン》を攻撃してきた。
我々は敵対していると考えるべきだ』

『でも《ジェイド》は巣である《ダイソン》を攻撃できないんでしょう?』
話題を変えるようにすみれがリンクした。

群[スウォーム]兵器である《ジェイド》は恒星間宇宙船《ダイソン》を母艦とする。
母艦を失えば帰るべき場所を失うことになる。
よって、彼らは巣である《ダイソン》を攻撃できないようにプログラミングされていた。

『少なくとも黒い魔光少女は《ジェイド》ではない……ならどうして《ジェイド》を操り、反[ブラック]レーザーを創出[エマージェンス]できたの?』

『黒い魔光少女に黒水晶[モーリオン]を渡した《ジェイド》がおり、彼奴めは地球の科学力とケイ素生命体の科学力とを結集させ、何かをしようと企んでいる。
真相を突き止めるためには、施設に侵入するしかない。
手遅れになる前に……』

『待って!』
すみれと《アンコ》のリンクに沈思黙考していた響が割って入る。
『その前にわたし、先輩と話をしてみたい』

『話し合いは不可能に思えるが……』
《アンコ》が懸念を表明する。

『話してみなきゃわからないよ』
我を張るのとはちがい、響は諭すように《アンコ》に言った。

『本当に先輩が黒い魔光少女なのか。
そうだとして、どうして《ダイソン》を攻撃しなくっちゃいけなかったのか。
本人に直接聞いて確かめてみる』

こうして響は昼休みにゆう子先輩と直接話すことになったのだった。

「どうしたの、響。元気なさそうだけど……?」
ゆう子先輩の第一声は、響の予想を裏切る朗らかなものだった。

肩すかしを食らったように響は言葉に詰まる。
「あ、あの……」

「元気だけが取り柄の響ちゃんが、そんなんじゃダメダメじゃん」

「元気だけってなんですかあ!」
……といままでの関係だったら言い返せていた。

でもいまはまるで、ふたりの間に大きな溝が広がっているかのようだった。

「先輩……」

あなたは黒い魔光少女なんですか?
訊きたいのに、訊けない。
答えが怖くて言葉がなかなか口に出せなかった。

そんな響の煩悶[はんもん]を見抜いたように、ゆう子先輩はにっこり笑って言った。

「疑ってるよりは、本人に訊いちゃったほうが早い、か。
行動派の響らしいや……」
ゆう子が言った。

響は瞠目[どうもく]して、ごくりと唾を呑んだ。

それは先輩自ら黒い魔光少女だと認めた瞬間だった。

「どうして……《ダイソン》を攻撃したんですか?」
ようやく響が口を開く。

「わからない」
さっと表情を暗くしたゆう子先輩が振り返って言った。
「どうしてあんなことしなくちゃいけないのか、自分でもわからないんだよ」

いったいどういうことなのか?
陰を宿した先輩の横顔に、響は数ヶ月前、地下鉄で彼女が言った言葉を思い出した。

『一度自分を偽ると……他の人を信じられなくなるんだよね……』

父親の肩書きや実家の豪邸を見た友人の反応——。

〝お嬢様なんだね……〟

普通に激安スーパーで買い物するし、バーゲンにも行く。
なのに羨望[せんぼう]と嫉妬が入りまじった視線に晒[さら]される……。

それが嫌でゆう子先輩は自分がお嬢様であることをひた隠しにしてきた。

そんな気持ちを吐露したあのときの先輩の横顔を思い出した響は、掛けるべき言葉を咄嗟[とっさ]に思いつけなかった。

「……響、わたしを助けて」

不意にゆう子が放った言葉に響はまたしても面食らう。

「ど、どういうことですか……?」

「わたしは、操られてるの」

そう言ってゆう子先輩がポケットから取り出したのは、響たちの利得媒質[オプト・クリスタル]とおなじ大きさの、黒い水晶体だった。

「黒水晶[モーリオン]……」
わかっていながらも、しかし愕然と響が言葉を洩らした。

ゆう子先輩が操られている——。

何らかの炭素生物と結合した《ジェイド》が、ゆう子を操り、黒い魔光少女として響たちと戦わせているのではないか。

そう考えた響とすみれと《アンコ》は、放課後、ゆう子先輩の案内で桂イノベーションパーク内を案内され、黒森研の扉を開いていた。

〝自分を操っている《ジェイド》を倒して欲しい——〟

それがゆう子先輩の願いだった。

(罠である可能性もある)
《アンコ》が密かにリンクを通して警告した。
(相手が黒い魔光少女だということを忘れるな……!?)

桂イノベーションパークにある黒森研は、広大な大学敷地[キャンパス]内にあるいくつかの棟のうちのひとつにあった。

この施設では工学、化学、電気、建築などさまざまな分野において、国際水準の卓越した研究をおこなっている。

同時に、大学研究機関と民間企業との橋渡しの役割も担っており、最先端の技術を一般に広めていく製品開発も進められていた。

カードキーを通して解錠する気圧式の自動ドアをいくつもくぐり抜け、響たちはその棟の最深部にある黒森研の研究室へと足を踏み入れた。

ここへ至るまでに通過した他の研究室とあきらかにちがうのは、コンピューター計器類の代わりに、円筒状の水槽が壁に沿っていくつも並んでいることだった。

まるで大地に根を張る大樹のように配管が這い回る水槽の内部には翡翠[ひすい]色の燐光[りんこう]を放つ光源が浮かんでいた。

「《ジェイド》——」
広大な研究室で言葉を洩らした響の声がこだました。

響のリュックサックから《アンコ》が飛び出す。

宙に浮かんで研究所の水槽に浮かぶ同志たちを見回す。
彼の提灯は、真っ赤に点灯しっぱなしだった。

「制御不能[アウト・オブ・コントロール]になった《ジェイド》をいったいどうやって捕捉したんだ?」
《アンコ》が黒い魔光少女——ゆう子に向かって言った。

「捕まえたんじゃない。わたしたちは《ジェイド》を保有していた」
ゆう子は首を横に振って答えた。

(保有……?)

「わたしたちは——」

言いかけて、突然、ゆう子が両耳を手で押さえ、ぎゅっと目をつぶった。

「どうしたんですか、先輩!?」

「ごめん、響。わたし……」
ゆう子がその場にうずくまって苦しみはじめた。

「いや、やめて! 私から光を奪わないで!」

ゆう子が頭を抱え込み、〝誰か〟に向かって病的に叫んだ。
そのままうつむいて、頭をかきむしる。

「……先輩!?」

心配し駆け寄ろうとした響を拒絶するように、打って変わって立ち上がり、顔をあげたゆう子先輩は、にやりと口元を歪めた。

「光なんてなくていい!! だって……世界は闇そのものだから!」

ゆう子の声が歪んで伝わった。

顔を上げたゆう子の目は、死んだ魚のように色彩を失っていた。
光彩は焦点を失い、暗くなっている。

「……オプト・クリスタル・プリズムアップ」
黒水晶[モーリオン]にそう唱えると、ゆう子は金色の光を放って黒い魔光少女へと変身した。

途方に暮れた響の隣で、条件反射するようにすみれが紫水晶の起動パスワードを唱えて、魔光少女に変身する。

「響も変身して!」
おののくような面持ちの響を叱咤激励してすみれが声を張る。

「まさか、先輩と戦うつもりなの!?」

「ソリッド・マキシマム!」

響の戸惑いを打ち砕くかのように、黒い魔光少女——ゆう子が片手でフォトナイザーを回転させ、その先端を響たちに振るう。

黒水晶からは黄金色の輝きがほとばしり、白熱光線が直進して響たちに迫った。

光の波動を捉えたすみれと《アンコ》は、響の前で身を挺し、障壁[エネルギーフィールド]を形成して衝撃に備える。

莫大なエネルギーがぶつかり合い、大きな共鳴音が爆ぜた。

大文字山で反[ブラック]レーザーをはじき返したとき、響は本気で黒い魔光少女が許せなかった。

仲間が苦しむ姿に、我を忘れて反撃をした。

でも、いまはそれができない。
相手はあの、ゆう子先輩なのだ。
目の前の光景を事実として腹に収めなければいけない現実に戸惑いながらも、響は紅水晶[ローズクォーツ]を取り出して変身パスワードを唱えた。

「オプト・クリスタル・プリズムアップ!」

響も変身して、フォトナイザーのモード同期[ロック]レーザーを準備する。

対抗してゆう子はやフォトナイザーを回転させると、今度は電子索[テザー]を放ってすみれと《アンコ》を電子網[カーゴ]に捕らえる。

「すみれちゃん! 《ナマズ》くん!」

響の防眩バイザーはモード同期レーザーの変調作業が完了していることを伝えていたが、いまはゆう子に攻撃を仕掛けることはできなかった。

すみれと《アンコ》を人質に取られている——。

ゆう子は躊躇[ちゅうちょ]する響をあざ笑うかのように、容赦なく電子網[テザー]に電流を流しはじめた。

すみれの甲高い悲鳴が空を割き、一瞬が何倍にも引き延ばされる。
バレッタが外れ、彼女の長い黒髪が宙に広がる——そんな映像が、スローモーションで目に焼きついた。

すみれとアンコは電子網の中で力尽き、膝をついてしまう。
電流で焼かれたすみれと《アンコ》の体からはもうもうと蜃気楼がたちこめた。

電気が炭素物質を焼き、焦げたような異臭が鼻腔を突いて、響は身の毛をよだたせた。

冷然と、ゆう子はフォトナイザーを再び構え、振り上げる。

先輩は本気で自分たちを叩き潰すつもりらしい。

「ゆう子先輩! 私たちが戦う理由なんてない! 先輩は《ジェイド》に操られているだけ!」
それでも響は説得をあきらめなかった。

(なんで……)
オプト・リンクを介したゆう子の声が、突然、響の脳内で知覚される。
(なんで私、こんなことしてるんだろ……)

それは、ゆう子の意識が無意識に伝えた心の声だった。
彼女は良心の瀬戸際でトドメを刺すのを躊躇[ちゅうちょ]しているようだ。

(ゆう子先輩!)
響がすかさずリンクを飛ばす。
(お願い! いつもの先輩に戻って! 私たちが憧れた、やさしくて頼りになる、あの先輩に!)

(響……!?)
響の声がゆう子の意識を揺るがしたのか、彼女は構えていたフォトナイザーを下ろし、呆然とその場に立ち尽くす。

そのとき、軍靴の足音がいくつも研究所内に残響し、屈強な男たちが数名、堰をきったように突入してきた。

重機関銃のような黒光りする武器を肩から提げて構えた男たちは、訓練された動きで展開し、響たちに向かって照準[ポイント]する。

男たちの目は、翡翠色の燐光を放っていた。

(敵は利得媒質[オプト・クリスタル]を携帯動力源にし、レーザー機関銃で装備している……)
《アンコ》があきらめを滲ませた声でリンクする。
(分が悪いな……)

レーザー機関銃で武装した男たちが響たちをじりじりと間合いを詰めてくる。

彼らにつづいて、ダークグレーのスーツを着た初老の男が現れた。

男はゆう子先輩の父親だった。
桂イノベーションパークに出資する特例財団法人の理事長で、黒森研の主任研究員の黒森博士その人だ。

彼の目もまた翡翠の燐光を放っていた……。

(《ジェイド》と融合しているのは、彼女の父親だ!)
電子網の中で傷を負った《アンコ》が響に懇願する。
(父親が……否、この〝男たち〟が黒い魔光少女を操っているんだ。
彼らを攻撃しろ!)

《アンコ》がオプト・クリスタルから閃光を放ち、研究室に爆煙を屹立させる。

即席の煙幕によって特殊部隊の照準を妨害し、響の攻撃を促す。

だが、彼女は踏み切れなかった。

コウモリやモグラやゴキブリ——イルカとももちろんちがう。

人間と結合した《ジェイド》。

ゆう子先輩のお父さんなのだ。

たとえ京都を救うためとはいえ、敵が《ジェイド》と結合しているとはいえ、人間を殺せというのか……?

逡巡する響を待たず、《アンコ》が力を振るってオプト・クリスタルからレーザーを撃ち、黒森博士を攻撃する。

対して黒い魔光少女はいともたやすくフォトナイザーを一閃させて払いのける。

(人間と融合した貴様たちは、人語を介して相互接続[コミュニケーション]ができるはずだな!?)
魔光少女たちの姿を不適な笑みを浮かべて見つめる黒森博士と特殊部隊の男たちに、《アンコ》がオプト・リンクを飛ばした。

(貴様らの目的は、何だ!)

(われらは、警備[セキュリティ]としてのスイートを組み込まれた武装集団[セグメント]である)

代表してリンクに応じた黒森博士が緑色の光を放つ目で《アンコ》を一瞥し、さらに狂気の笑みを広げた。

(ケイ素生命体が繁栄した銀河系はすでにこの宇宙に存在しない。
帰るべき場所を失ったわれわれに必要なのは、いかなるホシのいかなる存在とも融合する柔軟性である。
故にわれらは生存競争に打ち勝ち、環境に適合するために多種多様な創発[エマージェンス]を必要とする。
そのなかで、われらの意志決定に圧力をもたらす支配者の存在は、われらの可能性を著しく制限するものだ。
よって、われら武装セグメントは、《ジェイド》を支配する《ダイソン》を破壊する!)

武装セグメント——。
恒星間宇宙船を常時監視する《ジェイド》たち、セキュリティ・プログラムが変調を来していたのか?

つまり、《ダイソン》が制御不能[アウト・オブ・コントロール]に陥ったのは、彼らが原因だったということだ。

特殊部隊の隊員たちが散会し、ふたたび響を照準する。

響の戦闘服[バトルドレス]に赤外線ポイントが胴体から心臓へと這い上がっていく。

響は仕方なく、握りしめていたフォトナイザーを地に放るしかなかった。