魔光少女 プリズム響

PHASE=005 魔術師 Flicker

すみれは疑問に思っていた。
なぜ、響のように明るく活発な女の子が、部活動に参加していないのか?

彼女に訊ねてみたところ、『どの部活にしようか迷った挙げ句、決められなかったから』らしい。
第2学年の秋ともなれば、同級生たちは主力人員になっている。
いまさら第1学年に混じってスタートラインに立つのは憚[はばか]られたのだろう。
その代わり響はクラス委員を務めており、生徒会や委員会の集まりに出席して放課後の課外活動としていた。

その日も、響は聖光学園中学校で物理を担当している藤原先生のお遣いで、四条通に来ていた。
明日の課題実験のための備品を100円ショップで買い揃えるためだ。

「ねえ、領収書もらわなくってよかったの?」四条通のバス停ですみれが問うた。

「うん……。藤原先生の自腹なんだって」
ビニール製の収納袋のチャックを開けておつりを入れながら響が応えた。

すみれと響は、両手に大きなビニール袋を持っている。

ともすれば退屈になりがちな物理の授業を、藤原先生はみんなに楽しんでもらうため、実験内容を拡充した活発な授業を企図していた。

仮説を立て、実験し、検証する。
その結果を各班でまとめて発表し、ディスカッションして発展していく……。

ブロックメモや模造紙、クレヨンや付箋といった今日買い揃えた備品は、このためのツールだった。

一方で、それらの備品は本来、物理実験の学習指導要領では“不要”とされがちなものでもあるらしい。
だから藤原先生は経費としてではなく、自腹で授業の備品を買い揃えることが多かった。

けれど、藤原先生の熱い想いは、残念ながら生徒たちに伝わっていない。

今年度赴任してきたばかりの藤原先生は、口がうまい部類の人間ではなかった。
どちらかというと寡黙で、じっくり考えてからしゃべる人なのだ。
生徒が授業中に“内職”をしていたり、おしゃべりしていたり、携帯をいじっていたり、漫画を貸し借りしていたり……。
やんわりとは注意するけれど、厳しく物を取り上げもしないし、怒鳴りつけもしない。
温厚で、やさしい人だった。

だから先生は『楽できる先生』として生徒たちから“ナメられて”いる。
そのことは重々承知で、先生は教え子たちとどうやって接すればいいのか、悩んでいる様子だった。

正義感の強い響は、先生の優しさにつけいるような考えが嫌いだ。

藤原先生のために何かしてあげたい——。
その想いから響は先生のお遣いを頼まれたのだ。

バスで聖光学園中学校に戻った響たちは、ほこりっぽい物理室の前までやってきた。
物理室は暗幕で光が遮断されており、真っ暗な室内からは、乾いた回転音が聞こえてきた。
不審に思った響とすみれがそっと引き戸を開け、トーテムポールのように縦に連なって顔をそっと差し入れる。

真っ暗闇の物理室では、暗幕や古い実験器具から舞い散ったほこりが一条の光をくっきりと浮かび上がらせていた。
物理室を走る白光は、スクリーンに古めかしい白黒映画を映写している。
音声はなく、コマ落ちした映像は早回しに見えた。

「ああ、買ってきてくれたんだね、ありがとう」

人気に気づき、振り返った藤原先生はいったん映写機を止めた。
リールの回転音がゆっくりと止まる。
電気をつけてから先生は、小さな冷蔵庫から木製の試験管立てを取り出した。

「お駄賃といってはなんだけど、よかったら」
そう言って試験管で作ったカルピスのアイスキャンディを差し出す。

すみれが食べるのを躊躇[ちゅうちょ]しているとなりで、響は試験管を受け取って、「やった!」と無邪気にアイスキャンディを頬張った。
それを見て、すみれも遠慮がちに試験管に手を伸ばす。

「何の映画なんですか……?」
アイスキャンディを半分以上食べてから、響が訊ねた。
「先生が撮った映画?」

「いや、これは有名な映画の焼き増し[プリント]フィルムさ」

「音声がない」
すみれがぽつりと所感を表明する。

先生はやさしくほほえんで応えた。
「無音[サイレント]映画だからね」

「サイレント……」

いつになく饒舌[じょうぜつ]な藤原先生の横顔を見上げながら、響たちはいつのまにかすっかり先生の話に引き込まれていった。

「もちろん、今も照明[ライティング]技術は芸術だと思う。けれど、白黒[モノクロ]時代は、一種、映画制作が神秘学[オカルティズム]めいていていたんだ」

「オカルト? 映画が?」

「ああ——映画は、光と闇の魔術だからね」

リールの回転音が高まり、暗闇に一条の光が現出する。
スクリーンには、ぼやけた白黒映画が映写された。
傷だらけのフィルムが映し出す映像はひどく見づらい。

黒い外套に身を包んだ老人が、いびつに歪んだ美術セットのなかで、夢遊病者の男を操っている。

『カリガリ博士』という映画なんだと先生は言った。

(私には動画には見えないが?)
響のかばんからそっと提灯をのぞかせて、《アンコ》が媒質通信[オプト・リンク]を送る。
(君たちにはあれが動いてみえるのか?)

(何言ってんの? ちゃんと動いてるじゃん)
響はスクリーンの映像を改めて見つめる。

たしかに映像のなかの人物たちの動きは早回しになっている。
だが、動いてみえないというのはどういうことなのか?

「映画の仕組みは、簡単に言えばペラペラ漫画と一緒だ」藤原先生が解説する。
「フィルムに焼き付いている一枚一枚の写真は静止画だけど、脳が錯覚する速さで
連続して見ていると、脳内に残像が残って、動画として見えてくる……」

(なるほど?)《アンコ》がリンクで割って入る。
(フィルム映画は人間の脳でしか認識できない光の——)

「——魔術」
《アンコ》の言葉を引き取って響がつぶやく。

兵器である《アンコ》には、静止画としてしか認識されない。
人間にしか見ることができない光の魔術。
その事実と先生の意味ありげな言葉とが響のなかで一致して、思わず出た言葉だった。
まるでなかなか開かなかった鍵がカチリと気持ちよく音を立てて開いたような感覚だった。

「ああ。フィルム映画が持つ魔力の秘密——それは、光と闇のちらつき、すなわちフリッカーにあるんだ」

映画はクライマックスに向かっていく。
夢遊病者の男が殺人を犯し、警察に追われながら悶死するくだりにさしかかった。

「古代から人類はたき火のちらつきに、太陽のちらつきに、星のちらつきに畏怖の念を抱いてきた。
それは、潜在的無意識のなかで霊[ゴースト]的な存在をわれわれに意識させたからかもしれない」

「光のなかに神の存在をみた、と?」

「いいや——脳の錯覚を促す、光の瞬きにだよ。紀元前の人々の間では、プリズムを通して、神々しい光のちらつきを見つめることは、一種の宗教的儀式だったし、プリズムを通して人は狂気に導かれた」
ぽかーんと口を開けている響たちを見て、先生は補足する。
「フィルムはそのちらつきによって人間の潜在下に訴求することができる。サブリミナル効果ってことばを、君たちも聞いたことがあるだろう?」

すみれは何かの本で読んだことがあった。
映画フィルムのなかに、清涼飲料水の広告を一コマ挿入しておくと、たとえ1/24秒の一瞬間で人間が映像を認識できなかったとしても、潜在下にすり込まれた広告によって、清涼飲料水の売り上げが上がったという実験結果がある。

「つまりフィルム映画は、人間の行動特性をも操作することが可能なんだ。それって、魔術みたいじゃないか?」

(きみたち人間が光のちらつきを見ることで、霊的な神なる存在を意識させるのだとしたら、その概念は我々における“巣”の概念に近いのかもしれないな)
《アンコ》が自分のなかで一応の仮説を立てる。
(フィルム映画が双方向の相互接続[コミュニケーション]ではなく、光のちらつきを利用し、制作者の意図を一方的に示すという部分も類似している……)

いつの間にかリールが空になって静止しているのに気がつく。
はっと正気づいたすみれは、自分たちも映画の魔力に引き込まれていたことに気づいた。
夢から醒めたような顔をしている少女たちを見て、藤原先生はやさしくほほえんだ。

「さ、もう下校の時間だ。つづきはまた今度」

「先生!」さっと手を挙げ、響が立ち上がった。
「私、はじめてやりたい部活がみつかりました」

「えっ?」すみれが響を見やる。
彼女は脇を締め、拳をぎゅっと握りしめて瞳を輝かせている。

「映画研究会を作るんです!」
急に立ち上がって響が宣言する。

「何言ってるの、響……」

戸惑うすみれを押し切って、響が言った。
「先生、顧問になってもらえませんか!?」

「映画研究会——」先生が繰り返した。
「研究会として認められるためには、まず会員を最低5人は集めなくちゃいけないよ?」

「私、やります! 私とすみれを入れれば、あと3人集めればいいんですよね?」

「ちょっと待って……」すみれは戸惑った。

魔光少女としての任務はどうするのだ?
映画研究会の活動をしている暇などあるのか?

さまざまな反論が浮かんでは消えていく。

(いまの私たちには、魔光の力で戦うことしかできない)
響がすみれにリンクを飛ばす。
(でも、戦うだけじゃない。光には、世界に希望を与えられる力があるってことでしょう?)

光を希望に——?

なんてロマンチストなんだとすみれは鼻をならす。
でも、響にはそんな夢も実現させてしまうだけの行動力がある。
そんな気がする……。

「わかったよ。私も参加する」
すみれが言うと、響は飛び跳ねて喜びながら抱きついてきた。

「さっすがはすみれちゃん!」
頬を赤らめながら、すみれは顔をうつむける。

強引に巻き込まれた形のすみれだったが、魔光少女になったときと同じく、不思議と悪い気はしなかった。