魔光少女 プリズム響

PHASE=001 外宇宙からの漂流者 FROM OUTER SPACE

その日、いつもと変わらぬ朝が訪れると誰もが信じきっていた。
ただひとり、大文字山の火床からこの町を見下ろす少女をのぞいて——。

少女の名は紅光響[くれみつ・ひびき]。

私立聖光学園に通う中学2年生だ。
背は低く、ふたつくくりの髪型をしているのでよく小学生に間違えられる。今朝はパーカーにジーンズ、スニーカーという出で立ちだった。

「どう、《ナマズ》くん。お友達は見つかった?」
響がリュックサックに話しかけると、奇妙な生き物が隙間からあらわれた。

それはチョウチンアンコウのような生き物だった。
頭部先端から延びる提灯が緑色の不気味な光を放っていること、背中に翡翠[ひすい]石のようなものが貼りついていること。

なにより宙に浮いているということ以外は、ではあるが……。

「せめて《アンコ》と呼んでいただこう。私が寄生したこの炭素生物は《チョウチンアンコウ》と呼称されているそうだしな」

《アンコ》との出会いは突然だった。

昨朝、いつもどおり遅刻しそうな響が、鹿ヶ谷通りを走っていたときのこと。
数寄屋料亭の板前さんが、包丁片手に空飛ぶチョウチンアンコウを追いかけていたのだ。

通りかかった響のカバンに、《アンコ》は突然潜り込んできた。
いくら振り払っても齧りついてついてくる《アンコ》を匿ったまま、響は学校に連れて行くしかなかった。
なぜなら遅刻した生徒は、体育倉庫の掃除当番を押しつけられてしまうからだ。
暗いところが苦手な響は、なんとしてでも遅刻するわけにはいかなかった。

……それがすべてのはじまりだ。

学校にいる間に図書室の知識を吸収しつくした《アンコ》は、人語を操れるようになり、その夜、響に信じられないような身の上を語り出した。

《アンコ》は地球より137億光年も離れた外宇宙からの漂流者で、ケイ素生命体の無人兵器だった。

彼らの恒星間宇宙船《ダイソン》は、自ら光を発する恒星のエネルギーを調達するべく、宇宙航海をつづけていたが、プログラムに変調を来して地球に辿り着いたのだ。

その墜落地点が、京都の大文字山だった。

恒星間宇宙船には自己制御[セルフ・ガバナンス]型の群[スウォーム]兵器《ジェイド》が搭載されていた。
翡翠[ひすい]石【jade】に酷似している《ジェイド》は、墜落の衝撃で制御不能[アウト・オブ・コントロール]に陥り、恒星間宇宙船《ダイソン》から京都の町に分散してしまったのだという。

『われわれは《ダイソン》を〝巣〟とする兵器群だ』

昨晩《アンコ》は、自身もケイ素生命体自己制御型群兵器《ジェイド》のうちの一体であると説明した上でつづけた。

『《ジェイド》は巣の精神=心の座を失い、相互接続[コミュニケーション]がとれなくなった。
結果、制御不能に陥り、京都の町に分散している。
恒星の光エネルギー調達を本能[プログラム]として組み込まれているわれわれは、このままだと地球上のありとあらゆる光を吸収しようとするだろう……』

『あらゆる光を……?』

響がおうむ返しに問うと、《アンコ》は補足した。

『京都の町は暗闇に包まれることになる』

もし京都の町が、響の嫌いな暗闇に包まれたら——?

予想されうる最悪の事態を回避するためには、恒星間宇宙船を修復し、《ジェイド》をふたたび制御できるようにしなければならなかった。

「《ダイソン》を発見したぞ……!」

《アンコ》は突然、透明な壁を見あげるような動作をとった。

「えっ、どこ……?」
響は周囲を見まわしたが、彼の言う恒星間宇宙船はどこにも見当たらない。

「非常事態に備え、光学処理によって遮蔽工作[コンシールメント]するようになっている」

《アンコ》が頭部の触覚の先につけた提灯——オプト・クリスタルをかざすと、地面の小石が小さく震え出し、響の耳に蠕動[ぜんどう]音を知覚させる。

次の瞬間、忽然とそそり立つ巨大な恒星間宇宙船《ダイソン》がその全貌をあらわにした。

何千、何万の蜂の巣[ハニカム]模様で構成されたそれは、楕円形の岩石に酷似している。
ハニカム孔はほとんどが空になっていたが、まだいくつかの孔には翡翠色のきれいな発光体が詰まっていた。
《アンコ》のオプト・クリスタルの淡い明滅と同期[シンク]するかのように、発光体は点滅を繰り返していた。

まるで呼吸するようなリズムを刻んでいる—— 響がぼんやり思ったその刹那[せつな]、宇宙船は分解されたルービックキューブのようにハニカム構造を崩壊させ、物理法則を完全に無視した変異[モーフィング]をはじめた。

「《ダイソン》も相互接続ができなくなっている……」
《アンコ》が思わず言葉を洩らす。

「どういうこと……?」
恐怖に見開かれた目で、響は《アンコ》に問うた。足が竦[すく]んでどうすることもできない。

「響、逃げてくれ! 《ダイソン》は侵略形態に移行した!」

《アンコ》の声が耳朶[じだ]を打ったのと、宇宙船が侵略形態に移行し終えたのがほぼ同時だった。

大小のハニカム構造が病的に歪んで再構成されたそれは武装ポッドと化し、不気味な孔からいくつものまばゆい閃光をきらめかせる。
突如として響と《アンコ》の数メートル先の地面が爆発し、ハニカム模様に地面を抉[えぐ]る。
圧縮された衝撃波で響は草むらへと投げ飛ばされてしまった。土煙が噴き上がり、砂がぱらぱらと彼女の背中を打つ。
事態を把握できない響は、地面にうっぷしたまま咳き込んだ。

レーザー攻撃を受けたのか……?

轟音でおかしくなった耳と頭で左右を見まわすと、ふたたび目に焼きつくかのような閃光が瞬いた。

遅れることレイコンマ数秒——。

《アンコ》はその提灯から同じように強烈な光を放ち、防壁[エネルギーフィールド]を形作って、宇宙船の攻撃を減殺しようとする。

だが、威力は宇宙船のそれが勝っていた。

光のつばぜり合いに負けた《アンコ》は防壁とともに衝撃波で弾き飛ばされ、地面に叩きつけられてしまう。

「《ナマズ》くん!」

爆圧に煽[あお]られ、倒れそうになりながら、響は土ほこりに煙るなかをジグザグに走って《アンコ》を抱き上げ、また走った。

響の足もとを狙って、宇宙船はふたたび未知のレーザー攻撃を放ってくる。すぐ後ろの地面が一瞬で溶解し、踵[かかと]が空を蹴った。
それでも響は諦めず、前のめりになりながらも走りつづけ、なんとか林のなかに逃げ込んだ。

今のところ目標を消失[ロスト]した宇宙船の攻撃は止んでいる……。

「君は、《ダイソン》の攻撃を躱[かわ]すことができた……」
《アンコ》が声を振り絞って問う。
「もしかして、光の痕跡[トレイル]が読めるのか?」

「そんな、偶然だよ……」

響には、光を見分ける才覚があるのではないか——。

《アンコ》はたった今思いついた考えこそ、唯一の現実的解決策に他ならないと信じて疑わなかった。

「われわれは〝巣〟に攻撃することができない。そうプログラムされているのだ。だから君に頼みがある。《ダイソン》を破壊して欲しい!」

《アンコ》が響の手に提灯を近づけた。
葉っぱが雨露を落とすように、彼の提灯が手のひらサイズの増殖媒体[オプト・クリスタル]をひとつこぼす。

「《ÉIÉvÉgÅEÉNÉäÉXÉ^ÉãÅEÉvÉäÉYÉÄÉAÉbÉv》」
《アンコ》がオプト・クリスタルに呪文のような言葉を吹き込んだ。すると、水晶石が紅い色の光を放ちはじめる。

「紅水晶[ローズクォーツ]——魔光[まこう]を操る制御装置。オプト・クリスタルと呼ばれるものだ。君の秘めたる才能を引き出してくれるだろう。起動パスワードも再設定した……《オプト・クリスタル・プリズムアップ》だ……」

そこで言葉を切った《アンコ》はぐったり力つきて瞼[まぶた]を閉じた。

間もなく宇宙船が攻撃を開始する。
響と《アンコ》が身をひそめる林に向かって放たれた白熱光は、瞬時に草木を溶かし、木々の間にトンネルを穿[うが]ってしまった。

逡巡している暇[いとま]はない——。

「京都を暗闇から守ってみせる!」
煤けた顔で、響が紅水晶に向かって力強く言った。

「世界に光、響かせます! 《オプト・クリスタル・プリズムアップ》!」

その言葉を呪文のように唱えた途端、響はまばゆいばかりの光の洪水に飲み込まれ、魔光少女《プリズム☆響》へと変身した。

ピンクを基調としたひらひらの戦闘服[バトルドレス]に身を包み、その細い手に装着したコンバット・グローブには紅水晶をあしらった魔法の杖——フォトナイザーが握られていた。

「なに、この恰好……」
様変わりした自らの姿を確認して、響は言った。

間もなく宇宙船が向きを変え、こちらにレーザー光線を放つ。
まぶしさに目をつぶりそうになると、たちまち防眩[ぼうげん]バイザーが現れて響の目を保護してくれた。

彼女は宇宙船が発する光の痕跡を冷静に見定めて、フォトナイザーを振るう。

たちまち先端についた紅水晶が《ダイソン》のレーザー光を吸収する。
防眩バイザーには、フォトナイザーが吸収したエネルギーをはじき返す選択を迫る画面があらわれ、未知の表記が並んだ。

「フォトニック・アンプリファ!」

日本語で変換されたその文字列を響が読み上げる。たちまち紅水晶が励起[れいき]媒体となって、紅い光の帯を生み出して弾き返した。

刹出[せっしゅつ]したレーザー光線が宇宙船に向かって圧縮し、直撃する。
共鳴震動が大地を揺らし、膨れ上がった爆光に辺り一帯が塗り込められていった。

……その日のニュースでは、大文字山の山火事騒ぎは、登山者の捨てたゴミが原因で起こった、ということになっていた。

恒星間宇宙船《ダイソン》の残骸は光貨物網[レーザーカーゴ]でまとめ、遮蔽工作した上で学校の体育館裏倉庫に隠してある。

深手を負った《アンコ》は響の家で手当を受け、快復に向かっていた。
目覚めた《アンコ》は戦いに響を巻き込んでしまったことを詫びた上で、まだ侵略の脅威が拭い去ったわけではないことを強調した。

「町に散らばった《ジェイド》は、いまだ回収しきれていない。この惑星を侵略の危機から救うには、君の力が必要だ」

《ジェイド》の捕捉滅尽——。

今、京都——いや、地球の未来は、14歳の少女の手に委ねられたのだった。