魔光少女 プリズム響

PHASE=018 漏出魔光 Evanescent light / Skyfall(後編)

学校の屋上から見る京都の景色は、無味乾燥なものであった。
景観保護の観点から建物の高さが規制されているので、見え方としては悪くない。
ただ、おなじ目的で派手な広告も看板も多くないので、以前家族旅行で見た横浜の街並のような雑多な活気は感じられなかった。

響は屋上の柵にもたれかかり、ただ無為に背中越しの風景を眺めていた。
この数カ月間――思えば謎の宇宙船に襲われたり、しゃべるチョウチンアンコウに出会ったり、魔光少女に変身したり……。

驚きと困難の連続ではあったが、それにも勝る大切な出会いもあった。
心のどこかでこの非日常体験を楽しんでいたとさえ言っても過言ではないだろう。

響は、ただ自分が情けなかった。
自分の身体が生まれてきた状態のものでなくなった――炭素からなる物理的な肉体ではなく、波と粒子からなる光と影のいわば〝幻〟となってしまったという現実に対して、これほど自分の心が弱いとは。
自他共に認める前向きな性格など、所詮は当事者意識の無さの裏返しに過ぎなかったのではないか……。

背後で扉を開く音がして、響は物思いの時間を終わらせた。
振り返ると、ゆう子先輩がこちらに向かって歩いてくる。

「学校、来ないかと思ったよ」
そう言ってゆう子が響の隣に並んで腰を下ろし、単刀直入に切り出してきた。

「いつも通り学校に来て、普通に生活してたら、昨日のことが夢で済むんじゃないかって……」
響が弱々しく言う。
「でも、そうはならなかった」

涙も枯れ果てた瞳で青空を見つめる響の横顔を窺っていたゆう子がそっと息を吐き出した。
「あの響がねぇ、こりゃ~重症だわ。」

反論しようと響が一瞬、口を開きかけたが、また顔をうつむけて黙り込んでしまう。

「前ここで話したときは………………私が響に助けられたね」
ゆう子がつづける。
「別に響を元気づけようなんて思って来たわけじゃないよ?
響は強い子だって知ってるから。
何かきっと方法があるはずだって信じてるってこともね。
だから、今日はそれを一緒に考えに来たんだよ」

慰めるゆう子の目の前で、突然、響が柵を乗り越え、屋上から飛び降りようとする。
「響!!」
あわててゆう子が響の腕を掴み、渾身の力でなんとか柵の内側へ引き戻した。

響もゆう子も、息が上がっている。
「なんてこと……するの!?」
「知ってました、先輩?」
無表情のまま、響は答えた。
「私、実態のない幻だから、屋上から飛び降りても死なないんですよ?」
「響っ……」
「不老不死って、要するに人間じゃなくなったってことですもんね。
バケモノになっっちゃったってことですもんね……」

パァン!

めずらしくシニカルな響に対して放たれたゆう子の平手打ちが、人気のない屋上にこだまする。

頬を押さえた響はゆっくりと先輩を見上げた。
ゆう子のダークブルーの瞳は激情にかられながらも、見る見る潤んでいった。

「あんた、それでも魔光少女なの!?
あんたには、光の力で世界を変えられる力がある……。
そんな力がほしくて、苦悩し、死んでいった人間だっているの……」

「研究者のお父様のことをいってるんですか?
でも、それはお父様の話です。
私は私。
お父様が死んだこととは関係のないことです」

ゆう子がぐいと響に詰め寄った。
「京都を暗闇から守って見せるって……世界に光を響かせるんじゃ、なかったの!?」

「だから……」
面倒くさそうに響は笑った。
「やりますよ。《ジェイド》。倒せばいいんでしょう?」

いまは何を言っても聞いてはもらえない。
響との間に生まれてしまった目に見えない溝をさまざまと見せつけられたようなゆう子は、ただ「響……」と彼女の名をつぶやくことしかできなかった。

(響、ゆう子! すみれを見なかったか!?)
刹那[せつな]、《アンコ》からの媒質通信[オプト・リンク]が入った。

(午後から見てないけど……)
《アンコ》の問いかけに、平静を取り戻そうと努めながらゆう子が聞き返す。
(何かあったの?)

(すみれの利得媒質[オプト・クリスタル]に異常反応が出ている。……実はまずい心当たりがある)
顔を上げた響が尋ねる。
(……どういうこと?)

大文字山山頂の風は比較的強く、スカーフが風にはためいて顔にかかるが、すみれは一人地面を踏みしめ、微動だにしない。

前を見据えて深呼吸すると、制服のポケットから出した紫水晶[アメシスト]を胸の前でぎゅっと握りしめ、静かに起動パスワードを唱えた。
「オプトクリスタル……プリズムアップ」

甲高い起動音が鳴り響き、紫色の光線が溢れ出る。
光はすみれの身体を包むと、包帯のように織り重なり、紫の戦闘服[バトル・ドレス]を形成した。
同時に空間上で実体化したフォトナイザーの先端には、オプト・クリスタルが煌めいている。

オプト・クリスタルに秘められた超低屈折率媒質という特性——。
それは《アンコ》たちケイ素生命体によってもたらされるまで、地球上に存在しなかった、〝光速を超える光を創出[エマージェンス]する〟奇跡の物質だ。

魔光制御のためのデバイスとして装備されているが、その特性には《アンコ》たちにとっても未だ謎が多い。

図書館で読んだ相対性理論の本。
〈光速を超えることができれば、時間を遡ることも可能――〉

自分を図書館から外の世界へ連れ出してくれたのは、響だ。
彼女の笑顔を追いかけているうちに、ここまで来ることができた。
勇気というものを、すみれは響から教えてもらった。

今自分の手の中で起動直後の熱排気を行っている機械の先端についた結晶体が、時間を遡行させる可能性を秘めているならば――
響が人間の身体を、笑顔を取り戻すことができるのならば――

すみれにとって、《アンコ》の言っていた“リスク”など問題ではなかった。

「オプトクリスタル、メンテナンスモード。
フォトナイザー光学的操作盤[レーザーコンソール]展開。
第13層までのレジストリ改変を開始」

〈ÇÕÇ¢ÅAÉ〉ÉXÉ^Å〉
外宇宙の文字が表示され、すみれの要求を受け付けたことを伝える。
防眩バイザーが展開し、眼前にオプト・クリスタルのシステム環境設定画面のような幾何学模様が踊った。

すみれは指揮者のように宙にうかぶ光学的操作盤[レーザーコンソール]を操りながら、フォトナイザーに指令を与えていった。
「屈折率再設定…マニュアル数値入力モード、1.000283」

〈ä‘à·Ç¢Ç≍Ç∑ÅBÉAÉNÉZÉXÇ≍Ç´Ç‹ÇπÇÒ〉
赤と黄色の警告画面と思しきものが表示される。

それを無視してすみれは操作を続行する。
「処理を強制的に続行……」

〈DZÇÒÇ»ëÄçÏÇÕñ≥íÉÇ≍Ç∑ÅBñÇåıÇ™òRèoǵNjÇ∑DZÇÒÇ»ëÄçÏÇÕñ≥íÉÇ≍Ç∑ÅBñÇåıÇ™òRèoǵNjÇ∑〉
淡々と指令するすみれの瞳に、赤く明滅する警告画面の光が反射する。
再度確認を求めるオプト・クリスタルに、すみれは最後の指令を与えた。

「続行、………………時間遡行開始」

éÛóùǵNjǵÇΩÅBǫǧǻǡǃLJímÇÁǻǢÇÊ

一瞬の間をおいて、オプト・クリスタルが目まぐるしく色を変化させる。
それは虹色、といった生易しいものではなく、およそ人類の語彙では形状し難い光を放ち始めた。

すみれの周囲で、めまぐるしく景色が歪んでいく。
洗濯機の中から周囲の景色を見ているようだった。
巡る景色が時間遡行[タイムスリップ]によるものだと認識できたのは、朝と夜、空の景色が変化していったからだった。

「お願い、響を……あのころの響に……!!」

巡る景色に向かってすみれが叫ぶ。

大文字山の景色に、いよいよあの日の光景が再現されはじめた。
響を抱き抱えるゆう子の姿、そしてレーザーに貫かれる響の姿も――
それは〝デジャヴ感〟を通り越し、時間と空間が入り乱れ始めたことを示していた。

不思議と恐怖はなかった。
もはや自分が地面に立っているのかどうかすら定かではなかったが、すみれの両脚は決して揺らぐことはなかった。
両目を見開き、五感を研ぎ澄ませた。

そして真っ白な光の中に、響の笑顔が見えた。
出会って間もないころの――まだ人間の肉体を持っていたころの――響だった。
どこか頼りなさげにはにかむ、それでいて信念に満ちた笑顔。
すみれは目を細めながら、ゆっくりと響に手を伸ばした。

ピシッ

割れた食器に触れて手をきってしまったかのような、ひやり感が一瞬、体を貫いた。
驚くすみれの眼前で、響の顔を真っ二つに分断するように、空間に裂け目が走る。

「待って……お願い!!」

響の顔が上下にずれていく。
笑ったままの瞳が、別々にすみれを見る。
すみれは覆わず手を引っ込める。

ピシリ………………ピシピシピシ………………

「なんとかならないの!?」

〈ñ≥óù〉
短く表示された外宇宙の文字が、不可能という意味であると認識するまでにさほど時間はかからなかった。

「数値を再設定……時間遡行、再試行」

〈ñ≥óù〉
〈ñ≥óù〉
〈ñ≥óù〉

オプト・クリスタルが拒否表示を繰り返す。
背筋を粟立てながらすみれは、制御不能[アウト・オブ・コントロール]の恐怖に塗り込められていった。

氷が割れるように、周囲の景観に無数に、そして急速に亀裂が枝分かれしていく。
亀裂の間から黒い光が漏れ、たちまちすみれの眼前を覆う。

ドズン

光から音が出るはずもないが、すみれにはそう聞こえた。
次の瞬間、自分の意識が無くなるのが、彼女が実感できた最後の感覚だった。

「ごめん、響……」

それが、石英すみれが残した最期の言葉だった。

(遅かったか……!)
フォトナイザーに跨って高速飛行する響の肩から飛び降りながら、《アンコ》が叫ぶ。

「すみれちゃああん!」
すみれがいた、と防眩バイザーのディスプレイが示す場所には、猛烈な黒い闇が渦巻いている。

黒い闇——。
空にぽっかり穿たれたその光のうずまきは、まるで周囲のすべてを飲み込むかのように――というよりも、周囲の全てがその一点に向かって落下していくようであった。

(だめだ、シュバルツシルト半径に近づくな! 巻き込まれるぞ!!)
《アンコ》の様子に事の深刻さを理解したゆう子が、飛び込んで行こうとする響を羽交い締めにする。

「すみれちゃああああああああああん!!」

(いったい……すみれちゃんはどうしたの!?)
枯れたはずの涙声で響がリンクする。

(通常、フォトナイザーは利得媒質[オプト・クリスタル]に思念を送って魔光に変換している。
実はその際、微量ではあるが魔光は漏出している)

(漏出魔光[エヴァネッセント]……)
ゆう子がリンクして、ごくりと唾を飲み込む。

(そう、漏出魔光[エヴァネッセント]が微量だが、オプト・クリスタルが精製する魔光が多ければ多いほどまた漏出魔光[エヴァネッセント]も多くなる。
制御不能[アウト・オブ・コントロール]の漏出魔光[エヴァネッセント]が多量に漏れ出すと、時空間に局地的な歪みが生じ、そして……)

(ブラックホールを生む……!? すみれちゃんが、ブラックホールになっちゃったっていうの!?)
《アンコ》に詰め寄るように響がリンクする。

そのとき、3人の目の前で、渦を巻く暗闇の中心に、二つの瞳が穿たれた。
紫色に発光する瞳の周囲に瞬く間に顔らしきものが認識され、黒い渦巻きが蛇のようにうねるロングの黒髪を連想させた。

「すみれちゃん……なの……?」

「あれはもうすみれではない。
人類を……地球を滅ぼす悪魔の光だ!!」

アアアアアアアアアアアアアアア
断末魔のような叫び声が響き渡る。

「すみれちゃあああああん!!!」
だが、もうその声は届かない。
完全に自我を失ったすみれの身体から、幾本もの光線が放たれた。
その一本がフォトナイザーにしがみつく響の頬をかすめる。

(魔光が暴走している!
このままいけば半径が拡大して京都はおろか地球そのものがのみ込まれるぞ……!)

(すみれを助ける方法を教えなさい!! 今すぐ!!)
詰め寄るゆう子の目を見据えたまま、《アンコ》が諭すように言う。

(わかっているだろう!?
われらケイ素生命体は、魔光を操り、物理法則をねじ曲げられるという無知と傲慢さによって滅びたということを!!)

ゆう子がはっとして目を伏せる。

(もはや、すみれのオプト・クリスタルを直接破壊する以外に、この事態を収拾する術はない)

すみれのオプト・クリスタルを一刻も早く破壊するしかないことは、もはや明白な事実だった。

(すみれちゃんに……地球を滅ぼさせたくない)
響がぼそりと言った言葉に、ゆう子とアンコが振り向く。
(私なら——死なない身体の私なら、すみれちゃんに……近づけるよ……!)
響が、光線にかすめられた頬をこすりながら言った。

そして、ブラックホールの中心に向かって響は飛び立っていった。
光さえも吸い込む猛烈な重力場に遮られて、外からは様子を伺うことはできない。
外部からの侵入者を排除するように、幾筋もの光線が響に向って放たれる。

光線は次々と響の身体を貫き、バトルドレスを切り裂く。
もし響の肉体が、光と影の“幻”でなかったなら――おそらく1秒ともたなかったであろう。

「……っっ……!!」
耐えがたい苦痛に意識を失いそうになりながら、なおも響は前進する。
「……す……みれ……ちゃ……」
紅いバトルドレスのリボンは焦がされ、スカートは焼き切られた。ブーツもグローブも、もう原型を留めてはいなかった。

響が近づくにつれ、攻撃は激しさを増していく。
「すみれちゃん……お願い……」

響がついにすみれ――と思しき身体に手が届く距離に来る。
だがその手は身体をすり抜け、触れることができない。
「すみれ……ちゃん!」

響はなおも光線に貫かれながら、すみれを抱きしめた。

すみれの長い髪に触れる。

はねっ毛の響がいつも憧れていた、ダークバイオレットの豊かな髪だ。

「すみれちゃん……みつけた……」

攻撃の激しさに、その手も振りほどかれそうになる。

すみれの顔がかすかに見えた。
が、光の軌跡を読み取れる響にも、この時空間の歪みの渦中においては、もうほとんど暗闇しか見えなかった。

すみれの胸元と思しき暗闇の中心に手を伸ばす。

手ごたえがあった。
すみれのオプト・クリスタルだ。
響はすみれの胸元の紫水晶に、装甲のほとんど剥がれおちたフォトナイザーの銃口を向けた。

このままずっと抱きしめていたかった。
一人で不安だった戦いに、初めての仲間ができて嬉しかったこと。
一人で突っ走りがちだった自分の横で、いつも静かに笑っていてくれたこと――。
それは本当に一瞬であったが、山を飲み込んでいく闇の奔流の中で、響の胸を焼けただれさせた。

「すみれちゃん……困るよ……まだクッキー、食べさせてもらってない……」

すみれの一番の友人であると思っていた自分が、他ならぬ彼女の心を否定してしまうのだ。
強がりなすみれが、初めてしてくれた約束を―――。

「すみれちゃん……ごめんね……ありがとう……」

涙が流れているのかどうかわからなかった。
自分が引き金を引いたかどうかさえ。

自然に――まるで木の葉が揺れて陽光が差し込むかのように、フォトナイザーから光が溢れ、静かにすみれのオプト・クリスタルを貫いていった。

(響―――)

微かに、笑ったように見えた――。
淡いすみれ色のエバネッセント光――漏出魔光[エバネッセント]が、消えた。

あたりが真っ暗になったかと思うと、次の瞬間、静寂が訪れていた。

響とゆう子とアンコは、大地に穿たれた半径20mほどのクレーターの中にいた。その空間からは、何もかもが消えていた。草木も、土も、――すみれも―。

カラン。
ただすみれの紫色のオプト・クリスタルの欠片だけが、転がっていた。

「ぁ……いや……」
立ち上がる力も出ない響が、四つん這いになって欠片に近づき、両手で掴み上げ抱きしめた。

ゆう子はがっくりとその場に崩れ落ち、動くこともできない。

「すまん、私のミスだ」
沈痛な表情の《アンコ》が言う。
「理論上、時間遡行[タイムスリップ]が可能なことをすみれに話した。
響の身体のためにここまで非合理的な行いをするとは……余計な情報を君たちに与えるべきではなかった」

いつもの響なら、いやゆう子でさえ、そんな物言いに泣き叫んで喰ってかかっただろう。
だが今の二人には、そんな気力すらもう残ってはいなかった。

その時、アンコの提灯の先のオプト・クリスタルが赤黒く明滅を始めた。
「ジェイドだ——」

「まさか、《アンコ》! あたしたちに、倒しに行けって……そう言うの!?」
ゆう子が叫ぶように言い放った。

「ああ——直ちに向かってくれ!」
響は顔を地面に突っ伏したまま動かない。ゆう子が涙声で懇願する。
「ねぇ、《アンコ》お願いだからいまは……」

「すみれを失って悲しいのは君たちだけではない!」
突然、《アンコ》が厳しい口調で言った。
「君たちに頼まなくて済むのなら頼まん!……どうしても自分の任務を果たせないというのなら、……オプト・クリスタルを返してもらおう! 私が《ジェイド》を倒す!」

「………………どこ?」

響が突っ伏したまま低い声を出した。
ゆっくり顔を上げた彼女の瞳からは完全に光が消え、ぞっとするような声で言った。

「ジェイドはどこ?………………教えて、殺すから」
無表情の響は、どこかうすら寒い狂気が芽生えているようにも見えた。