魔光少女 プリズム響

PHASE=013 標[しるべ] An Eye for Optical Theory

(ゆう子先輩!)

遠くで自分の名前を呼ぶ声がした。
その声が誰なのか、すぐには思い出せない。
でもたしかに聞き覚えのある声だった。

誰か——。
自分のことを「先輩」と呼ぶのだから、たぶん学校の後輩だろう。
だが——はたして自分に親しい後輩などいたのだろうか?
黒森ゆう子は自分の名を呼びかける〝誰か〟の記憶をたぐりよせはじめた。
うすぼんやりと浮かんできたのは、〝楽しい〟という連想だった。

まっすぐで、ぶつかることを恐れずに何にでもチャレンジしてみせる。
彼女は常にまわりを明るくしてくれていた。

(先輩!!)
また誰かが自分の名を呼んだ。
もうすこしで声の主のイメージがはっきりするのに、なかなか思い出せない。
もどかしい思いに駆られているうちに、ゆう子はふと我に返った。

ここは、どこ——?

一面真っ白の空間に、ゆう子の〝意志〟が浮かんでいる。
周囲には幾重にも張り巡らされた光の基軸がどこまでも走っていた。

いま、自分は黒い魔光少女としてここにいるのか。
それとも黒森ゆう子として存在しているのか……?

ゆう子の〝意志〟は、主導権がいまどちらにあるのかを探るように自問した。

わたしは、だれ?
どうしてここにいるの?

すべては父から黒水晶[モーリオン]を受け取ったあの日からはじまった。
それは覚えている。

でもどうしてわたしは、黒い魔光少女になったのだろうか?

ゆう子はさらに記憶をまさぐり、自分のなかに黒い魔光少女が生まれた経緯を思い出そうとした。

子供のころ、自分には何も特別なことがあるとは思わなかった。
みんなと同じ〝普通〟の子だと思っていた。
けれど残念ながら、ゆう子はクラスの子たちとは明らかにちがった。

〝いつもちがう服を着て登校してくる〟

最初はそんなささやかな言葉がはじまりだった。
いつしかゆう子の家庭環境への詮索が嫉妬となり、反感となっていくまでにそんなに時間は掛からなかった。

〝恵まれてるよね〟
〝お嬢様なんだね〟

別にいじめられていたわけではなかったが、ゆう子は自分へ向けられる目と言葉の端々に〝金持ちだから甘やかされている〟という批判が込められているような気がして、ひどく居心地が悪かったのだ。

ゆう子は孤独だった。
高出力レーザー技術の研究に従事する父はアメリカに単身赴任し、物理教師の母が帰宅するのは夜だった。
だだっ広い豪邸でゆう子は毎日さびしい時間を過ごした。

家庭に笑顔もなかった。

たしかに金銭的には恵まれていたかもしれないが、ゆう子はいつもさびしかったし、子供のころから一度として自分が幸せだと感じたことはなかった。

そんなゆう子の気持ちを理解してくれる人は、誰もいなかった……。

小学校六年生の夏。
ゆう子はアメリカにショートステイすることになった。
日本の学校に馴染めないゆう子を連れ出してくれたのは、国防高等研究計画局[DARPA]とEU内各国研究グループが出資するプロジェクトに参加する父だった。

レーザー核融合……」
高出力のレーザーを炉に照射するための装置がまっすぐ、どこまでも延びていく実験場を案内されたゆう子は、圧倒的な設備を見上げて思わずつぶやいた。

レーザー核融合では、高効率かつ繰り返し動作が可能な高出力ドライバーの開発が急務だった。

アメリカで父はレーザー核融合のための高出力・高性能レーザー媒質の研究開発を行っていたのだ。

「高出力レーザーで核融合燃料ペレットを加熱し、爆縮することで高温・高密度のプラズマを発生させる。
原子炉とちがってレーザー核融合は放射能もきわめて微量で安全だし、しかも桁違いのエネルギーを得ることができる……これまで恒星でしか起こっていなかったようなエネルギーを、人類は手に入れるんだ」

父の話す構想はあまりに壮大で、小学生のゆう子にはまだ半分も理解できなかった。
それでも、目を輝かせてレーザー核融合についてはなす父がゆう子は好きだった。

父を誇りに思っていた。

実験場で父はみんなから頼りにされていたし、研究員に指示を出し、モニターに向かう姿はとっても格好よかった。

「21世紀は光の時代だ」
父は実験場から帰る車のなかでゆう子に言った。
「光の力が人々を照らし、支え、繋いでゆく」
そう言って父はゆう子の肩を叩いた。
「もし学校で嫌な思いをしているんだったら、いつだって環境を変えてもいいんだ。
他人と比較し、規格外の人間を排除しようとするくだらない世間と戦っても何も得られない。
ゆう子、おまえには世界に新たな歴史を与えるような研究者になってもらえたらうれしい。
光で世界を変えるんだ」

父はゆう子の様子を察して優しい言葉を掛けてくれたのだった。

その日からゆう子は、ある決心をした。

父のように世界に新たな歴史を与えるような研究者になること。
それがゆう子の目標になった。

翌年、京都市内の私立中学校に入学したゆう子は、新しい人生を歩み始めた。

誰にでも好かれる明るい女の子のように振る舞うよう気を遣った。
家では猛勉強したが、学校ではそんな様子は微塵もみせないようにした。

持たざる者たちの足の引っ張り合いに拘泥されないためには、自分を偽る必要があるからだ。

〝お金持ち〟であることを隠して生きていく。
そして、持たざる者を安心させておいて、出し抜くのだ。

おしゃべりばかりして実にならない友人同士の勉強会や部活動にも参加した。
とにかく努力していることを、ほんとうの自分の実力をひた隠した。

持たざる者たちの嫉妬と反感を買わないために。

そうやって慎重に心の防護線を張り巡らせていたのにもかかわらず、ゆう子の心は深い傷でえぐられることになる。

ゆう子が中学2年生になった春、父がアメリカから帰国した。
父はレーザー核融合の研究から外されてしまったのだ。

理由はわからない。
父も語りたがらなかった。

でも、1人の才能のある人間を重宝するよりも、協調性のある〝持たざる者たち〟を尊ぶ研究チームを批判する父がなぜ脱落したのかは容易に察しが付く。

父はゆう子には決して見せなかったが、職場では横暴だったという。
〝持たざる者〟を人間として扱わないとまでいわれるほどだった。

そんな父を母はよく心配していた。

『たしかにあなたは才能がある。
けれど、ひとりの天才が世界を変える時代は終わったの。
いまは、みんなで知恵を合わせて世界を変える時代なの。
どこかで折り合いをつけないと……』

『折り合いをつける、か』
母の警告を父は鼻で笑ってあしらった。
『彼らは仲良しごっこがやりたいだけなんだ』

事実、父は仲良しごっこをしている〝持たざる者〟たちによって引きずり降ろされたのだ

帰国早々、桂イノベーションパークで黒森研を立ち上げた父は、光技術の研究開発に出資するベンチャーキャピタルをはじめようと奔走していた。

帰国して、父は人が変わってしまった。
アメリカの実験場で見せた格好のよい父は鳴りを潜め、ひがみっぽくて、皮肉屋になった。

「彼らは腐肉にたかる蛆[うじ]だ」
自分をクビにした研究チームを父はよく批判した。
「自分では何も生み出せないのに、過去の遺物にしがみついて、利息で食いつないでいるだけなんだ。
いつかボロを出すさ」

そんなひがみっぽくなった父に、母が耐えられなくなった。
2人は生活のすれ違いから離婚することになったのだ。

「父さんと一緒にいても、あなたは幸せになれない」
母はゆう子を連れて実家に帰ろうとして言った。

父が研究チームを降ろされたほんとうの理由も聞かされた。
離婚の原因もそのときの事件がきっかけだったという。

「父さんはね、女性研究員に暴力を振るったのよ」
母はそう語った。
「あの人の言い分では、女性研究員のおしゃべりがうるさくて、黙らせるために殴ったらしいわ。注意してもいっこうにおしゃべりをやめなかったからって」

「でもそれって、研究の邪魔をしていた女の人が悪いんじゃないの?」

「世間はそれでは納得はしない。
横暴なあの人を嫌う人も多かったしね。それに……」
言い淀んでから母は言った。
「同じように父さんはあなたに手をあげるかもしれない」

「父さんが暴力を振るったのは、そうするよりほかにしかたがなかったからでしょう……」

「暴力を振るったことは事実よ」
ゆう子の言葉を母が厳しく遮った。
「あの男は最低の人間なの」

何を言っても、母はもう父のことを信用していないようだった。
すでに2人の関係を修復することは困難だった。

それでもゆう子は父の言い分も主張せずにはいられなかった。

「父さんが辞めた後も、研究チームは父さんの開発した高出力デバイスを使ってるんでしょう? おかしいよ。父さんが一生懸命研究した成果をのうのうと使ってるなんて……」

腐肉にたかる蛆[うじ]だ——。
父の皮肉が妙に腑に落ちた気がした。

父を否定しておきながら、自分たちの都合のいいときだけ父の発明を利用し、金儲けする。
あたかも父が最初から存在せず、自分たちだけですべて発明したかのように。
それではあまりにも理不尽だ。

父はいったいどんなに悔しい思いであんな皮肉を言っていたのだろうか?

刹那、ゆう子は知らず知らずのうちに涙を流していた。

世界を呪いたくなるような再出発の絶望にうちひしがれる父の想いに触れたような気がした。

次の瞬間には、ゆう子は父と暮らすことを選んでいた。

父は深く傷ついているのだ。
また目を輝かせて未来を語る父を取り戻したい。
ゆう子は父の側にいてあげたかったからだ。

それでも、数え切れないほどの不安がゆう子を襲った。

この先どうなってしまうんだろう——?
まるで大海原に取り残された遭難者のように、ゆう子は不安に飲み込まれそうだった。

この世には、なにひとつ確かなものなどないのか——?

それからゆう子は、強迫観念に駆られたように技術書を渉猟[しょうりょう]した。
技術書に書かれていることは、純然たる事実のみ。

そうして技術書を読むこと、その行為によってのみ、ゆう子は精神の安定を図り、自分を現実に止めていたのだ。

いつしか部屋には本が山積みにされていった……。

世界に光など存在しない。
なぜなら、世界は闇そのものだから——

いつしかゆう子のなかで、2人の自分が同時に存在しはじめた。

学校で明るく振る舞う自分。
父を変えてしまった〝持たざる者たち〟を恨む自分。

ゆう子は〝持たざる者たち〟を見返す特別な力を、父に与えたかった。
技術書を読むことは、自分が父を支える研究者になるための準備でもあった。

でも、特別な力はいっこうに見当たらなかった。

そんなある日、父が開発した高出力レーザーデバイスを流用し、レーザー核融合反応の実験に成功したというニュースが飛び込んできた。

父はその日から家には帰らなくなり、黒森研の実験室にこもるようになった。

ゆう子が心配して桂イノベーションパークの黒森研を訪れると、目に燐光[りんこう]を宿した父が振り返って、黒水晶[モーリオン]を手渡してきた。

「お前に頼みがある」
まるであの頃の父に戻ったようにやさしい父は、ゆう子に言った。
「魔光少女になってほしい」

魔光——。
《ジェイド》によって父はアメリカの研究チームを見返す特別な力を得ていた。

「欺瞞に満ちたこの世界を破壊する。
そのためには、《ジェイド》の相互接続を復活させる要である恒星間宇宙船《ダイソン》を破壊する必要がある」
父がゆう子の肩に手を触れてきた。

あの頃の父に戻って欲しい。
そのためだったら、悪魔にだって魂を売ったっていい。

ゆう子はためらうことなく、差し出された黒水晶[モーリオン]を受けとった。

そして——ゆう子は黒い魔光少女になったのだった。