【第3章 日米共同】

第21話

 ケネディ宇宙センターから約80キロ。
 オーランドにある宿泊先のホテルで、柊は最終調整のデータを参照していた。

 現在、《LPHA一号機》はロケットに積載する重量調整のため、できる限りの軽量化が検討されている。
 その夜も制御装置から観測機器、ひいてはネジ一本に至るまで、軽量化・簡略化できるものはないかと頭を働かせていた。

 その夜は寝ようにもなんだか寝付けなかった。
 どこか胸騒ぎがして、頭が冴えてしまっていた。

 徹夜すると最近は腰に疲れが押し寄せる。
 そんなことを頭の端で考えていると、控えめにドアをノックする音が響いた。

 時計に目をやれば、深夜の2時だった。
 柊はドアの銃眼から廊下を確認した。

 ただならぬ様子の國場がそこにいた。
 柊はすぐにドアを開いて「どうしたんですか、國場さん?」と室内に招じ入れた。

「見つかりました」

 國場は短くいった。

「見つかったって……」

 すぐに意味を察した柊は、

「《やたかがみ》ですか」

 ときいた。
 
 國場がこっくりとうなずく。
 ふぅ、と柊は長い息を吐き出した。

「なんだ、だったらもう少しうれしそうにしたらどうですか」

 思わぬ良い知らせに脱力する。

「まあ、ロケットが発見されたからって浮かれているわけにもいかないのはわかりますが……」

 第三弾ロケットの日本側負担については、まだ結論が出ていないと聞く。
 文科省や総務省、内閣府に打ち上げ予算を承認してもらうためには、発見したロケットの分析を急がねばならない。
 戦いは終わっていない──國場はそんな心持なのだろう。

「御坂さんが電話で直接ご報告したいといっています。どうされますか?」

 真面目な顔を崩さずに國場がきいた。

「そりゃ、ぜひ」

 柊は即答した。
 國場が通話の準備をしている間に、パソコンを閉じ、窓のブラインドを上げた。
 静まり返ったオーランドの夜景がそこにある。
 研究者は毎日毎日、少しずつ成果を積み重ねていく。
 目の前の課題に必死で取り組み、またひとつ、またひとつと乗り越えていく。

 ずいぶんと遠くまできたものだ。
 柊はそんな感懐を胸に刻んだ。
《やたかがみ一号機》の墜落からまだ2年しか経っていない。

「柊さん」

 國場の呼ぶ声にはっとして、現実に思考を引き戻された柊は、差し出された電話に出た。
 手短に挨拶を交わして、御坂は

「柊さん、無事、《やたかがみ》を発見しました」

 と報告した。

「それは……ご苦労でした」

 國場と同様、御坂の声音もどこか硬かった。
 御坂の話では、調査船は海底探査が目的のため、回収は後日になるという。
 さらにそれからキュレーション施設で詳しい原因究明と分析が始まるとのことだった。

「柊さんからいただいた、人工知能の呼びかけコードがなければ、見逃していたと思います。ほんとうに助かりました」

 柊はしんみりした雰囲気が苦手だった。
 照れ隠しのように、

「いやいや、米国の情報供与のおかげですよ」

 とわざとどうってことはないというようにいう。

「原因究明を急いで、今度こそ──お預かりした宇宙機は宇宙に届けてみせます」

「ええ……そちらもいろいろと大変でしょうけど、引き続きよろしくお願いします」

 柊は電話を切った。

 湿りがちな空気が流れた。
 どうもこういうのは苦手だ。
 柊は鼻をすすって、また大きく溜息をついた。

「どうですか、下で一杯」

 そういって國場はラウンジのバーに誘った。
 普段は人付き合いで酒など一滴も飲まない性質の柊だったが、この日はめずらしく心が動いた。

 深夜2時のラウンジには人影もない。
 バーに入ると、國場はウィスキーを、柊はグラスワインを頼んだ。
 酒はすぐに運ばれてきた。
 2人で言葉もなく乾杯し、一口飲む。

「実はもう一点、ご報告があります」

 ウィスキーの苦味に耐えるように、擦れた声で國場がいった。

「というと?」

「大熊さんの容態です」

《響22号》の開発を担当する大熊が倒れたことは、柊も聞かされていた。
 だが、柊たちの拠点、ケネディ宇宙センターはフロリダ州、アメリカ大陸の東側に位置する。
 対して《響22号》が建造されているシャイアン・マウンテン空軍基地は大陸北西部のコロラド州にあった。
 大陸をほぼ横断する距離が離れており、連日、実験に追われる柊は見舞いに行くこともできなかった。

「確か娘さんをこっちに呼んだとか……そんなに悪いんですか?」

 ためらいがちに柊が尋ねた。
 一拍遅れて、國場はうなずく。

「日本での治療に専念するため、帰国することになりました。今日、手配が終わったところです」

「そうですか……」

 それ以上、次ぐべき言葉が見当たらず、柊も黙って酒に口をつける。
『D計画』の初期メンバーだった大熊が抜ける。
 現実感のない報告に柊は先程の回収とは打って変わって虚しい

「《響22号》は……?」

 柊は技術課題に話題を転じる。

「白河さんが一人で担当されています。出力問題も解決されつつありますし、開発スケジュールに問題がないのは救いですが……」

 また一口、國場はウィスキーを呷った。

「勝利の神様は、諦めず努力しつづけた人にのみ微笑む」

 まったく根拠もなくつぶやかれた柊の言葉に、國場はちらとこちらを見遣った。

「そう信じるしかないですよ」

「柊さん……」

「はい?」

「僕は工学者です。無神論者です。柊さんだって……」

 國場はカウンターで頬杖をついている柊に相づちを求めた。

「それでもです」

 柊もぐっとワイングラスを傾け、酒を喉に流し込んだ。