(どこまでこいつらはお人好しなのだ?)

戦闘指揮所を後にした加奈は、売国奴(マゴット)を救うことを決断した要員たちの顔を思い浮かべていた。

自分たちだけが生き延びればいいものを……。たしかに核攻撃による演算は、地球の死を意味していた。またナナの進言に従わぬ場合は《エスピランサ》は自動管制モードに移行し、『アポロン』の操艦を拒否するというのも事実だ。

それでも、自分の命を擲ってまで守る価値があるのか? 人類に? 子供たちに?

――日本人は、バカだ。

そんな想いを新たにした加奈は、しかし、彼らから情報を摂取し、『かの国』へ横流しする売国奴(マゴット)たる自分はなんなのかと問うていた。利己的にこの荒廃した世界を生き抜き、自分はなにを手にしたのか? なにを遺したのか?

ただ、生きてきただけだ。

いや、安穏と過ごしてきたわけではない。生き延びるために必死だった。必死さ故、他人を、日本人を出し抜いてきた。死んでいく日本人を不器用でバカなやつらだとあざ笑ってきた。

でも、ちがう。

日本人は純粋なのだ。恐ろしいほどに。

だからこそ、彼らの純粋な犠牲、純粋な夢には希望が宿っている……。

14年前、《響ⅩⅢ号システム》を守るために死んでいった技師たちの顔を脳裏に思い浮かべた加奈は、眦(まなじり)が熱くなってきた。

(泣いているのか……? この私が?)

自分の頬を伝う涙の意味もわからず、加奈は手で拭った。次に極東委員会との通信装置を通路の床に叩きつけ、踏みつぶす。

自分が殺してきた日本人たちへの贖罪だと言うように、加奈は筒状戦車兵器とのデータリンクのための作戦――『かの国』のメインフレームに侵入するための不正ウィルス、コンピュータワームを作成するために、加奈は端末に向かっていった。

 

 

 

日本海側に位置する旧石川県小松市――ここには日本最大となる売国奴(マゴット)の地下シェルター『安宅工廠(こうしょう)』があった。港湾施設には『かの国』から運ばれてきた筒状戦車兵器群《ダイモス》と無人爆撃機《フォボス》の部品が次々と運ばれ、地下工廠(こうしょう)には組み立てられた無人兵器群が格納されているのだった。

日本最大の無人兵器工廠(こうしょう)であると同時に、その兵器で何万、何十万という日本人の命を奪い、同じ日本人でありながら反日感情をむき出しにし、『かの国』への隷属(れいぞく)によってのうのうと生きながらえている最低最悪の売国奴(マゴット)の伏魔殿(パンデモニウム)でもある。本来なら『アポロン』が真っ先に爆撃して同志たちの無念を晴らしたい、忌むべき場所だった。

軍事施設に準ずる地下工廠では、『かの国』が派遣した無人兵士が売国奴(マゴット)を監視している。無人兵士とは、二足歩行型のロボット歩兵ではなく、むしろ監視カメラといった方がしっくりくる代物だ。効率的な統治を目指す『かの国』は、統治の無人化に踏み切った。また叛乱を企てる売国奴(マゴット)などこの数十年の間に一人も出ていない。

完全に『かの国』の奴隷と化した売国奴(マゴット)のもとへ、日章旗を掲げた特務艦が飛来すれば、当然、歓迎はされないだろう。着艦時を戦車兵器によって挟撃されれば《エスピランサ》といえど撃沈されてしまう……。

そこで先遣隊を派遣することを決定した鷲尾艦長は、最小必要限度の人数に絞り、ヒロとナナ、それに加奈の三人を選んだのだった。

売国奴(マゴット)のシェルターで育ったヒロならば、警戒心を持たれないだろうというのがひとつ。それに交渉役をヒロ自身が買って出たことにもよる。加奈とナナはデータリンクのためのコンピュータワームを組み上げ、『かの国』のメインフレームへ侵入するための技術要員としてだった。

特に三人目の先遣隊、加奈が選ばれた経緯を脳裏に呼び出した鷲尾は、しばし現実の懸念事項から離れて彼女との会話を反芻(はんすう)した……。

 

『……貴様が、売国奴(マゴット)だな?』

10分前のことだった。ナナとヒロに同行すると名乗り出た雨宮加奈を艦長室に呼び出した鷲尾は、証拠となる乗員データを突きつけたのだった。

あまりにも簡単なことだった。艦内の売国奴(マゴット)を探すのは、ただ艦内一人一人の出自を洗えば済むことだった。乗員リストに記載がなかったのは2人しかいない。

検体を連れてきた売国奴(マゴット)の少年と、『アポロン』の技術将校を名乗る加奈という女性――艦内唯一の女性要員として、検体の世話係を任されている人物だった。

『『アポロン』の乗員リストに、君の名前がなかったのだが……?』

鷲尾が問うと、加奈は今頃気づいたのかとでもいうように、肩をすくめてみせた。両眉にしわを寄せて深刻な表を刻む鷲尾に対して、彼女はあきらかに飄々(ひょうひょう)としているのだった。

『だとしたら、どうする? 艦長の仇をとるか?』

挑戦的な目でこちらをにらんでくる加奈を、鷲尾は見据えた。

『なぜ、逃げなかった?』

核攻撃が迫っていることは、『かの国』と連絡を取り合っていた加奈だったら知っていたはずだ。しかし、彼女は逃げなかった。艦長を暗殺した売国奴(マゴット)を探す艦内の動きも承知で、あえて彼女は艦に残ったのだった。

それはなぜなのか? 疑問をぶつけた鷲尾に対して加奈は、

『戦車兵器のデータリンクをものにするためには、『かの国』の軍事メインフレームに侵入する必要がある』

と別の話題に切り替えた。

〝彼女〟――《響ⅩⅢ号システム》のハッキング能力は、すでに14年前の惨劇で実証済みだった。敵国の衛星兵器に意図もたやすくアクセスできる〝彼女〟なら、筒状戦車兵器のデータリンクを奪うことなど造作もないように思えた。

しかし、失敗すれば日本のみならず、地球の生態系をも破壊しかねないこの作戦においては、確実性が求められた。『かの国』の諜報員が持っている軍事機密は喉から手が出るほど欲しい情報だった

『……君なら、できるというのかね?』

油断のならぬ疑いの目を受け止めた加奈は、声を上げて笑った。

『売国奴(マゴット)の工廠に逃げ込んで、戦車兵器でお前らを撃ち落とすとでも?』

艦長を殺した売国奴(マゴット)。通常なら彼女は捉えられ、過酷な拷問の末、『かの国』の情報をはき出させる。そんな状況に慣れてしまっているのか、余裕の表情を見せる加奈を、もはや不審や疑念ではなく、理解できないというように首を振った鷲尾は、

『わからんな……なぜ協力する気になった?』

と問うた。

それに対し、加奈は軽く首を振ってみせる。そして自嘲を洩らして、

『わたしにもわからない』

と告げる。

『あえていえば、〝彼女〟が、いや、あの子供たちがそうさせたとでも言おうか……』

検体と少年。2人はこれまで幾度も奇跡を起こして、艦を、乗員を、そして鷲尾自身をも救ってきた。いままで理解不可能だった加奈の思惑に急に親近感を持った鷲尾は、

『なるほどな……それだったらわたしも同意見だ』

と応じた。

『彼らがいなければ、『かの国』の核攻撃を迎撃しようなど考えもしなかったことだ』

『同感だな。こんなバカな作戦に付き合うなんて……』

鷲尾と加奈は、視線を合わせて互いの腹の底を探り合うのを止めて、しばし互いにニヒルな笑いを洩らした。

『……信用していいのだな?』

鷲尾が問う。

『でなければ、わたしも死ぬまでだ。核攻撃でな』

と応じた加奈に、鷲尾は

『逃げなかったことで、信用しろと言うことか?』

と最後の確認を迫った。

『艦長殺しを許せとは言わない』

なんの計算も打算もないということを示すように、加奈は両手を広げて言った。

『生き延びたら、好きなようにしたらいい。わたしは罪を購うつもりがある』

『その購いが、先遣隊の同行ということか……?』

『あの二人を守らなければならない』

打って変わって真剣な表情で加奈は言った。彼女の目を、鷲尾も黙って受け止める。

『あの二人こそ、未来の希望だからな』

なるほど、『かの国』の諜報員であり、艦長を暗殺した彼女の腕ならば、二人を売国奴(マゴット)の地下工廠へ導くことができる。しかも敵を警戒させずに……。

鷲尾は加奈の申し出を了承し、彼女を三人目の先遣隊に選んだのだった……。

 

はたして交渉が成立するのか? 子供と諜報員が鍵を握る作戦。もはや作戦とも呼べぬ行き当たりばったりの計画に、艦長の自分が自嘲を洩らした。

核ミサイル発射まで残すところあと数時間。危機的状況を理解し、正しい行動を選択できる人間が、売国奴(マゴット)のなかにいるのか? それができていれば、この国はきっと『かの国』には蹂躙(じゅうりん)されてこなかったのではないかという想いもまたあって……。

不安ばかりが噴出してくる己の胸の裡(うち)にため息で蓋(ふた)をした鷲尾は、いずれにせよ、またしても自分たちは子供たちに託(たく)すかないのかという思いに駆られながら、船を下りていく三人の後ろ姿を主モニターで確認するしかなかった。

その間にできるだけのことはしておこう。〝彼女〟がもたらしてくれた『かの国』のミサイル基地の衛星画像をもとに軌道計算を導き出し、迎撃に必要な防御網構築を検討する。同時に、交渉が決裂した場合の腹案も考慮しておかなければなるまい。

現存する核兵器の3分の2が飛来するシミュレーションでは、画面がミサイルの弾道で真っ赤に染まっている。そのすべてを迎撃することがはたしてできるのか……。

「参謀本部より入電!」

重さを増す頭を現実へ引き戻すかのように、通信手からの声が割って入る。「まわせ」と額に手をあてながら応じた鷲尾は、「こちら《エスピランサ》……」とゆっくりと言った。

「予定進路から外れておるようだが?」

あきらかに不満を募らせる声を顕わにする部長閣下に鷲尾は、「《エスピランサ》は現在、『安宅工廠』にて停船中です」と言った。

「『安宅工廠』……!?」

参謀部長は驚きのあまり声をひっくり返して問うた。

「売国奴(マゴット)の総本山ではないか! そんなところでなにをしているのだね!?」

「『かの国』による核攻撃迎撃態勢を整えています」

「バカな……」

閣下が絶句する。

「これは乗員の総意です」

「……本気なのか?」

死んでも地獄。生き延びても地獄が待っている。それでもいいのか? 言外の問いに鷲尾自身も自問する。世界を救っても、乗員たちは軍法会議に処され、『アポロン』という組織内での地位を失うのが今回の作戦だった。彼らの未来を自分は背負っている。それでもやるのか? 彼らを路頭に迷わせることになっても……。

「閣下」

迷いを断ち切るように声を絞り出した鷲尾は、

「『かの国』の核攻撃によって、日本だけでなく、地球圏の生態系は壊滅的な打撃を被ることになります。われわれに残された道は2つです。降伏して攻撃を止めるか、それともすべての核ミサイルを迎撃するか」

降伏はありえない。死んでも言えないその2文字に閣下が押し黙る。

「核攻撃後のシミュレーションについては、〝彼女〟が導き出した演算結果があります。そちらをご覧ください」

これで通じなければしかたがない。なかば諦めたように相手の返答を待つ鷲尾に返ってきたのは、意外なものだった。

「……わたしとて日本人だ」

咳払いのあと大きく息を吐いた閣下は、

「自分たちだけが生き延びればいい。それは軍人のすることではない。よく言ってくれた。諸君の行動は誰にも真似できるものではない。思う存分にやり抜くがいい」

と言った。

反対にあうと思っていた鷲尾は意外な思いに打たれて、言葉が継げず、ただ背筋を伸ばして、

「はっ!」

と応じただけだった。

「以上だ。健闘を……祈るぞ」

本部との通信が途絶えた。

会話を聞いていた戦闘指揮所の要員たちは、あらためて自分たちのとった行動を後押しされて、高揚感を抱えているようだった。

艦長亡き後、思えば自分は自分より目上の存在から認められることもなかった。誰にも頼れない孤独と不安にさらされてきた自分が、自分より大人からかけてもらった言葉に救われた想いだった。

この想いを乗員たちにも共有したい。

「こちら艦長」

鷲尾は艦内放送に切り替えて言った。

「参謀本部長閣下からの言葉を諸君に伝える。『思う存分やりぬくがいい』――とのお達しだ」

艦内の各所で歓声が湧いた。その声は、要員たちの士気の高まりを感じさせた。

「総員、気を引き締めて作業にあたってほしい! 以上だ!」

戦える――さきほどとは打って変わって心強い気持ちになった鷲尾は、あらためて迎撃態勢のシミュレーションに目を落とした。