旧東京に《エスピランサ》が着陸してからすでに半日。『アポロン』東京支部から充填された工作要員によって主機及び補機の整備は急ピッチで進められていた。整備班もようやく交代制が敷かれ、ヒロは2時間の休憩を与えられていた。

売国奴のシェルターを出てからというもの、ここまで一睡もしていない。身体を休める意味でも寝ておかなければならなかったが、ヒロはどうしても彼女――ナナに一目会っておきたかった。

生死を賭けた整備作業を共にしていれば、それなりの連帯感、仲間意識も芽生えてくる。顔見知りになった何人かの整備要員にナナのことを訊ねたヒロは、叛乱を起こした彼女が幽閉されていることを知った。

「どういうことなんですか……」

自分に言われてもしかたがない、とヒロのやり場のない怒りをやり過ごした整備要員は、「彼女の処置のために、支部から医療班が乗り込んでくるらしい。機関長が『主機を荒らされる』とか騒いでたぜ」と応えた。

「医療班……?」

「検体No.07の調整をするんだとさ」

要員が言い放った「調整」という言葉には、どこか不気味な雰囲気が漂っていた。ナナは人間だ。「調整」なんて、人間に対して使う言葉じゃない。叛乱を起こし、幽閉されている彼女に施されるという「調整」――ヒロは正体不明の不安に突き動かされるように、艦内を走った。

途中、加奈の姿を見かけたヒロは、足を止めて彼女を呼びかけようとした。ナナの世話係である彼女なら、幽閉されている場所を知っているはずだ。

ところが、加奈の挙動はあきらかにおかしかった。きょろきょろと周囲の様子を窺い、身を潜めている。

なにかある、と察したヒロは咄嗟に壁に身を隠した。もう一度首を伸ばして、加奈を確認する。彼女の姿はすでにそこにはなかった。彼女の潜んでいた場所を確認すると、対空レーダーや射撃指揮装置や通信装置が密集する艦橋構造物の上階メインマストへつづく階段だった。鉄扉の先には、通信アンテナしかない。そこになんの用があるのか? 鉄扉に手をかけた瞬間、ヒロは、

(助けてあげて……)

という〝彼女〟――紅水晶の声を聞いた。思わずびくりと反応したヒロは、(このままでは、ナナがナナでなくなる)とつづく声に、ふたたび走り出していた。

(ナナは医務室にいる……このままじゃ、あの子があの子でいられなくなる)

「どういうことだよ?」

(ナナが、死んじゃうってことよ……)

すぐさま頭に艦内地図を呼び起こしたヒロは、必死に地面を蹴った。第二甲板を降りて、艦隊中央部最下層の機関室の隣、医務室へ向かう。短機関銃(サブマシンガン)を抱えた警備兵が立哨するのを見て、〝彼女〟の声が本当だと確信したヒロは、そのまま突進していった。

警備兵も子供が突進してくるのを最初は呆気にとられて見ていたが、背後から羽交い締めにする。

「放せ! 放せよ!」

ヒロが叫んだ。

「お前ら、ナナになにをするつもりなんだよ!」

警備兵と小競り合いをしているうちに、室内の鉄扉が押し開き、鷲尾副長が現れた。奔馬のように暴れるヒロを取り押さえる警備兵を目にした鷲尾は瞠目して、

「何事だ?」

と問うた。

「ナナに……なにをしたんだ!」

ヒロの言葉に電撃を受けたように、鷲尾が警戒する。

「貴様……なぜそれを知っている!?」

「聞きたいのはこっちだ!」

降ろさねばならない。半日前の冷泉艦長の言葉を思い起こしながら鷲尾は、

「説明する必要はない。連れて行け」

と言下に言い放って令した。

「〝彼女〟が言っていたんだ……」

最後の力を振り絞るように、ヒロが叫ぶ。

「助けてあげてって……ナナが死んじゃうって言ったんだ!」

つかつかとヒロに向かってきた鷲尾は、彼の襟首を掴んで詰め寄った。

「貴様、〝彼女〟の……『オプト・クリスタル』の声が聞こえるのか?」

「お願いだから、ナナを助けてあげてくれ……」

鷲尾はヒロから視線をそらして、

「それはできん」

「なんでだよ!?」

「すでに処置は完了した」

鷲尾の言を裏づけるように、鉄扉から白衣を着た池波が出てきた。

「ナナ!」

一瞬の隙を突いたヒロが、制止を振り払って室内に突入する。強化ガラスで仕切られた真っ白い部屋の向こうには、拘束服を着せられた痛々しいまでのナナが、椅子に縛り付けられていた。

「ナナ……」

彼女の目は虚ろで、口はだらんとだらしなく開かれている。ナナを呼び戻そうと、ヒロは強化ガラスをどんどん叩いて彼女の名を連呼したが、警備兵に羽交い締めにされて、引き離されてしまった。