ナナは主機(メインエンジン)《響XⅢ号システム》の潜水球(バチスフィア)内に立てこもり、『オプト・クリスタル』との感応を解いていた。

「要求はなんなんだ?」

増幅集積室(チャンバー)の制御室にやってきた加奈とヒロは、作業要員に事の詳細を訊ねる。

「なんでも、艦長と話をさせて欲しいとかで……」

「だから、私が代わりに話を聞きに来た」

加奈が言うと、要員の代わりに

(あなたでは、だめ)

というナナの声がスピーカーから聞こえてくる。

「……ナナか?」

(わたしは、〝彼女〟の声を聞いたの……)

「〝彼女〟?」

その言葉をきっかけとして、加奈の脳裏で突然、14年前の事件が鮮明に甦る。諜報員7thであること、ましてや〝彼女〟の存在など知らぬ振りを貫くために、加奈は

「〝彼女〟とはなんだ?」

と要員に聞く。

「えっと……」

「いいから言え」

要員は手短に《響XⅢ号システム》の因縁話を話して聞かせた。第三者から聞かされる客観的なあの事件の概要をまるで他人のことのように聞きながら、

「その〝彼女〟と、今回の事件と、どんな関わりがある?」

と問うた。

(《エスピランサ》は、戦う道具じゃない)

ナナの声にはなにか明確な意志が宿っている。子供特有のわがままでもなければ、ヒステリーでもない。しっかりとした信念に基づく行動なのだと精一杯訴えているようだった。

「爆縮特務艦《エスピランサ》は、『アポロン』が『かの国』に対抗すべく建造してきた軍艦、戦闘兵器で――」

(違う)

加奈の声をナナが遮る。

(《エスピランサ》を、〝彼女〟を生み出した科学者の願いは、もっと違うところにあったの)

こういう状況なのだ、と示すように加奈はヒロに向き直り、両手を広げてみせる。

「彼女の話をもっと聞いてみたらどうですか?」

恐る恐るヒロが自分の意見を言った。

(ヒロ、ありがとう)

思わぬところでナナの声が聞こえてきて、ヒロは特殊強化ガラスの向こう側にある潜水球(バチスフィア)を振り返った。

「ナナ……」

通信マイクに顔を近づけて、ヒロが話しかける。

「〝彼女〟って、『オプト・クリスタル』のことだろう? 僕も〝彼女〟の声を聞いた。それで、なんて言ってるんだ〝彼女〟は?」

(響は……〝彼女〟は、《エスピランサ》は世界を救うために造られたんだって言ってる)

「世界……」

「少なくとも、失われつつあった日本民族。我らの世界は、本艦があれば救える」

加奈の合いの手に、

(日本のみならず、全世界を救う力がこの艦にはあるということよ)

とナナが応える。

「世界を救う……」

あまりに漠然とした言葉に、実感が伴わないらしいヒロがつぶやいた。

「それはいったい誰にとっての救済なのだ?」

加奈が問うた。

「いまや世界中で人間は互いの救済を信じて戦いつづけている。核戦争によって、地球の生態系を激変させてしまったのにもかかわらずに、だ。この絶望の泥沼を、《エスピランサ》が救うというのか?」

(そうよ)

やはり子供だ。自分の主張が絶対に正義であると信じて疑わない。そんなまっすぐさ、生真面目さこそが若さの、青臭さの象徴なのだった。

「ただ平和を願っていれば、世界が平和になる。他人に同情する心は、かならず通ずるはずだ……かつての日本人はそう信じてきた……いや、いまでも、というべきか?」

加奈は7thとしての内面と日本人技術者としての仮の顔との間をさまよいながらつづけた。

「だが、平和は手にはいらなかった。日本人は徹底的にお人好しだったんだよ。敵と戦うには、敵と同等かそれ以上の武器が必要になる。日本はこれまで、大国にさんざん蹂躙されてきた。検体(サンプル)No.07、いや、《響》。きみも見てきたはずだ……」

そこへ戦闘指揮所からの通信を示すブザーがスピーカーから鳴り響き、「こちら艦長」という冷泉艦長の声がつづいた。

「話は聞かせてもらった、検体(サンプル)No.07」

(艦長……?)

ナナも驚いた様子で通信する。

「ひとつ聞いておきたい。君は《エスピランサ》によって、どう世界を救うというのだ? 君が言う世界を救う力とは、いったいなんのことか?」

すっと息を吸い込んだナナは、

(反射装置(リフレクター)よ)

と応じた。

(《エスピランサ》に搭載されている反射装置(リフレクター)は、光子を散布することで位相空間を中和する、超光触媒と呼ばれる力を持っている。この光触媒によって、核大戦後の荒廃した地球の生態系を取り戻すことができる)

「『アポロン』本部はそうは考えていない」

艦長の声が怯まず言う。

「光触媒は、抑止力であるとしている。この技術は、日本が、世界に対抗する唯一の手段だ」

(どういうこと……?)

「日本だけが光触媒によってかつての生態系を取り戻すのだ。荒廃した他国は、日本にひれ伏すだろう。自分たちにもその技術をわけてほしいと……」

(つまり、光触媒技術の占有によって、日本は世界覇権(パックスジャポニカ)を手にすることができるというの……?)

「そうだ」

ナナを圧倒するように、冷泉艦長の声は力強く言った。

「それこそ『アポロン』本部が考える技術大国日本の再興だ……!」

(それでは、日本民族は救えても、世界を救うことにはならない。〝彼女〟はそう考えているし、わたしも同意する。『世界に光を響かせる』。それが、〝彼女〟の願いであり、《エスピランサ》を動かす条件よ……)

「残念だが、君の要求はのむことはできない」

冷泉艦長の揺るぎない声に、ナナが動揺を走らせる。

(こ、このままでは、《エスピランサ》は、停止するのよ?)

「そうなるな」

艦長の受け答えはにべもない。

「いまからマイクを全艦につなぐ。乗員に言ってくれないか――生き延びた日本人よ、この場で心静かに死ぬのだと」

ナナは返す言葉もなく沈黙を守っている。

(……ずるいわ。そんな――)

「だが、事実だ」

絞り出されたナナの言葉には、苦悶が窺える。

「いいかね?」

教え諭すように、艦長はやさしくゆっくりと話す。

「たしかに、〝彼女〟の意志とは無関係に、『アポロン』は君たちを政治の道具に利用しているように見えるかもしれない。また、君たちのいう救済のほうが、世界規模から見たら大義と呼べるかもしれない。だが……!」

突然、冷泉艦長の声が熱を帯びてくる。

「それなら日本人は滅んでもよいというのか? 君たちを生み出したのは、日本人だ。彼らの粋を集めた技術力だ。彼らの想い、魂をも蹂躙し、いま、君たちの目の前にいるわれわれ日本人が死んでもよいというのなら、なるほど、それも正義なのだろう。私は認めるつもりはないがね」

艦長はここぞと畳みかけていく。

「日本人が生き延びるためなのだ。否、真に日本人と呼べる民を後世に残すためなのだ。わかってくれないか_」

そのとき、水密扉が開き、潜水球(バチスフィア)からは『オプト・クリスタル』を抱えたナナが出てきた。

 

戦闘指揮所のモニターでは、増幅集積室(チャンバー)から出てくるナナの姿が映し出されている。

「拘束しろ」

「えっ」

艦長命令に驚いた鷲尾副長が聞き返す。

峻拒の表情を刻む艦長を確認した鷲尾は、顔をうつむけた。

「われわれは生き延びなければならない」

冷泉が言った。

「また主機(メイン・エンジン)を人質に取られたら、この艦は終わる。急げ“!」