《フォボス》の爆撃は小休止に入っていた。分厚いベトンの壁に囲まれた《アポロン》地下工廠は、まだびくともしなかった。

舞鶴元海軍工廠には、世界各国の原子力潜水艦や護衛艦の残骸が運び込まれていた。これは軍艦の建造ラインと同時に解体ラインを『かの国』が日本に確保するためで、また言ってしまえば体のよい核廃棄物の押しつけだった。

こういった廃棄物を埋めるために、堅牢に建設された地下施設は、いまは『アポロン』にとっての絶対防衛ラインになっているのだった。

「おそらく、敵は核兵器を使用するだろう」

冷泉艦長が攻撃休止の意図をそう裏読みする。

「生き延びた要員は、反重力レーザー爆縮炉(リアクター)の動力伝導に注力するように伝えろ。最優先だ」

「しかし、肝心要の燃料利得媒質(ペレット)が……」

「検体(サンプル)No.7が到着しました!」

鷲尾副長の言を遮るように、要員の報告の声が飛んだ。

冷泉艦長と共に振り返る。戦闘指揮所に現れたのは、まだ10代後半のあどけない少女と、少年、そして研究員らしい女性の三人組だった。

「少女じゃないか……しかも……」

視覚障害がある。その言葉を鷲尾はとっさに飲み込んだ。

日本の技術の粋を集めた反重力レーザー爆縮炉(リアクター)が、少女によってしか起動しないという事実。不確かで自分の制御下にない不安が鷲尾の胸を埋め、いらだちとなって口から衝いて出た形だった。

「至急、本艦のエネルギーを確保しなければならない」

いっぽうで、検体(サンプル)No.7を知っていたのか、落ち着いたままの冷泉艦長は、

「反重力レーザー爆縮炉(リアクター)にて、点火作業に向かって欲しい」

必要事項だけを命令して、背を向けてしまう。

「了解」

ねぎらいの言葉も歓迎の言葉もなく戸惑う少年に対して、きちんと訓練を受けてきたらしい少女は手短にそう答えて、戦闘指揮所を後にする。付き添いの少年と、隻眼の女性も指揮所を去っていった。

「艦長」

返事はせずに、眉だけ動かして冷泉が先を促してくる。

「あんな子供に……」

「やってもらわなければ困る」

同時に、これまでにない衝撃波が地下壕を襲った。指揮所にどよめきが起こり、すべての照明が落ちて、暗転する。

「予備電源、入ります」

非常灯の真っ赤な明かりに塗り込められる。

「直上、放射能を検出!」

「か、核攻撃です!」

額から汗を吹き出しながら、要員が報告の声を飛ばす。

「敵無人攻撃機に高エネルギー反応!」

「2発目、来ます!」

核爆発の火球は地下施設を掘削し、港湾施設に巨大なクレーターを現出させていた。鷲尾たちが移乗している特務艦《エスピランサ》は依然、健在ではあるが、2発目以降、直撃を受ければひとたまりもない。もはや発艦まで一刻の猶予も残されていない状態だった。

天井をにらみつけた冷泉艦長が、

「連中め、とどめを刺すつもりか……」

とつぶやく。

「最終装甲板融解!」

戦闘指揮所の天井モニターに、映像が回わされてくる。直上の映像は、地下施設の分厚いベトンの壁を突き破って、黄色く煙る地上の景色が垣間見えていた。

「いかん、《エスピランサ》が丸見えじゃないか……」

「次の核攻撃は?」

鷲尾が戦術オペレーターに問う。

「少なくとも、残り360秒……」

報告を受け鷲尾は、

「艦長……」

と指示を仰ぐ。

それに対し冷泉艦長は、

「《響(ひびき)XⅢ号システム》始動! 光子位相変換砲、雷撃戦用意!」

と命令を下す。

その場にいた全員が目を見開いて艦長を振り返った。

「まさか……戦うおつもりですか?」

思わず鷲尾が拳に力を込めて問う。

「反重力レーザー爆縮炉(リアクター)の起動だけで手一杯なのに、練度の足りない要因だけで攻撃準備など……」

「やらねば、やれれる」

瞑目したままの冷泉艦長が応える。

「それだけだ」

誰も反論するものはいなかった。

「光子位相変換砲、雷撃戦用意!」

覚悟を決めた鷲尾が復唱し、要員が発艦作業と同時に雷撃戦準備に取りかかる。「《響XⅢ号システム》チェック完了!」「フライホイールチェック接続準備よろし……」艦内のスピーカーからは、要員の報告の声が飛び交っていった。

 

《エスピランサ》のエネルギー発生機関は《響XⅢ号システム》と呼ばれる主機(メインエンジン)と、光子機関という補機から構成されている。

燃料利得媒質『オプト・クリスタル』を持ったナナは、主機の増幅集積室(チャンバー)に入っていった。そこは球形深海潜水装置・潜水球(バチスフィア)に似た外観の設備で、中央に潜水窓が、鋼鉄球殻の外側には動力を伝達するための銅製パイプが波打ってつながっていた。

シェルターで習ってきたボイラーとは比較にならないほどの大規模なエネルギー発生機関を前に、ヒロは言葉を飲み込みこむことしかできなかった。

「あの少女が……〝彼女〟に感応するのか」

ヒロの隣で隻眼の女性、加奈が独り言のようにつぶやいた。

強化ガラスの向こう側――増幅集積室(チャンバー)では、ナナが、ちょうど潜水球(バチスフィア)へ入り込むところだった。細身の身体のラインを強調するかのようなパイロットスーツに着替えたナナは、潜水球(バチスフィア)のタラップを昇っていった。ワインレッドと黒とで塗り分けられたスーツの背面は、『オプト・クリスタル』に感応する少女が励起するエネルギーを伝達すべく、様々な接続装置で隆起していて、背むし男のような外観だった。艶めかしい少女の身体とは対照的に機械的醜悪(グロテスク)さを併せ持つその姿は、さきほどヒロと一緒にいた少女の印象とはかけ離れており……。

ヒロの感傷を遮るように、潜水球(バチスフィア)の重たい水密扉が密閉される。丸くくり抜かれた潜水窓からは、手の中に抱えた紅色の『オプト・クリスタル』に思念を送るかのように精神集中し始めるナナの姿が確認できた。細い眉を寄せ、苦悶の表情を浮かべるナナは、どこか痛みに耐えているようにも見える。

そのとき、ヒロの脳内には、かすかに少女の笑い声が聞こえた。びっくりしたように周囲を見回すと、隣にいた加奈にも聞こえていたようだ。ヒロと加奈は顔を見合わせた。

「始まる……」

加奈が言うと、「全隔壁を閉鎖。耐圧確認終了」とオペレーターの声がスピーカー越しに重なる。

「爆縮!!! 」

スピーカーからの艦長命令に、

「了解、《響XⅢ号システム》運転開始……」

とナナが応える。

次いで増幅集積室(チャンバー)に向かって幾筋ものレーザーが照射された。『オプト・クリスタル』が淡く発光しはじめ、スピーカーからは「燃料利得媒質(ペレット)の点火を確認!」「機関始動!」「エネルギー創発(エマージェンス)」「出力安定。レーザー爆縮炉(リアクター)へ接続!」「了解。全ベントをチェック。爆縮炉(リアクター)ライン、圧力上昇!」「動力へのエネルギー吸入開始!」「エネルギーポンプ作動!」という報告の声がつづく。

「反重力レーザー爆縮炉(リアクター)、集光強度、エクサワットを突破! 出力なおも上昇!」

「《響XⅢ号システム》、全エネルギーを展開。臨界まであと10(ヒトマル)」

増幅集積室(チャンバー)の、ナナが発する光はもはや正視していられないほどの紅い光を放ち始めたのだった。

「これが《響XⅢ号システム》……《エスピランサ》の器なのね」

「《エスピランサ》……?」

加奈のつぶやきにヒロは鸚鵡(おうむ)返しする。

「そう。爆縮特務艦《エスピランサ》。日本人に残された、最後の希望よ」

 

「発艦作業、最終段階へ移行!」

「ジャイロコンパス正常! 安定化装置(スタビライザー)問題なし!」

「重力バラスト及び反重力機関に動力伝達!」

戦闘指揮所では、航海長や機関長たちがモニターから目を離さずに報告する。各部モニターには順番に明かりが点っていく。

「直上、《フォボス》に高エネルギー反応!」「核攻撃、3発目、来ます!」戦術オペレーターの急かす声が指揮所を響かせる。

各要員が発艦作業を急いだ。

「エンジン回転、エネルギー創出(エマージェンス)、80パーセント!」

「回転数なおも上昇中!」

「反重力装置、接続(コンタクト)!」

「動力充電完了! 臨界点を突破!」

「各部問題なし(オールグリーン)。すべて正常値……」

要員の報告を受けた鷲尾副長が冷泉艦長を振り返る。

「いけます……!」

がくん、となにか鋼鉄の部品が収まる轟音が艦内に響き、まるで生き物に生命が宿ったかのように、回転数がどんどんあがって、高音を発していく。

腕組みし、瞑目していた冷泉艦長が面を上げた。

「ゆくぞ! 《エスピランサ》発進!」

冷泉艦長の発令により、爆縮特務艦《エスピランサ》が浮上した。