圧力、臨界点を突破! 動力充填(じゅうてん)完了!」
「『オプト・クリスタル』、停止しません!」
暗転したはずのディスプレイがひとりでに再起動をし出して、勝手に操作盤(コンソール)を操っていく。
「〝彼女〟は……戦うつもりなのか?」
半ば茫然と野島主任が言い放つと、研究員のひとりが「主任、アゲハ共鳴反応です!」と振り返った。
かっと目を開き、技術主任はディスプレイに釘づけになった。
「そんな……こんなことが……」
画面のグラフ上、光学音子(フォノン)の位相が変調を繰り返していた。重なり合った図形が音響機器(イコライザー)のように波打っている。変化していくアゲハチョウは、まるで羽ばたいているようにも見えた。
特殊硬化ガラスを隔てた融合炉からは、『オプト・クリスタル』がすでに見ていられないような輝きを放っていた。
「《響XⅢ号システム》、衛星軌道上《神の杖》にアクセスしています!」
それは〝かの国〟が開発した宇宙兵器だった。衛星軌道上からチタン製の鉄槍を時速一万五百キロの速度で落下させる兵器で、非核兵器ながらその殺傷(さっしょう)能力は原子爆弾にも引けをとらない。
「〝彼女〟は、私たちを守るつもりなんだ……」
技術主任の声に、研究員たちがはっとする。
「しかし、すでに《神の杖》はエネルギーが切れて起動しないはずでは……」
《テスラの橋》だ、と野島主任は応じた。
「〝彼女〟は創発(エマージェンス)したレーザーを衛星軌道上まで打ち上げて、エネルギー伝送するつもりなんだ」
レーザーエネルギーを照射して充電する非接触電力送電技術は二十世紀にその構想を打ち立てた狂研究者(マッドサイエンティスト)ニコラ・テスラにちなんで《テスラの橋》と呼ばれている。
〝彼女〟は《テスラの橋》を打ち上げ、《神の杖》を起動しようとしているのだった。
「〝彼女〟を行かせてはならん! 〝あれ〟まだが完成する前に、〝彼女〟の存在を売国奴(マゴット)どもに知られるわけにはいかんのだ!」
ぶ厚い雲に覆われた地表から衛星軌道上にまで伸びるレーザーを発射すれば、大深度施設に眠る〝彼女〟の居場所を全世界に知らしめるようなものだ。それだけはなんとしてでも阻止しなければならない。
世界を救う〝希望(エスピランサ)〟の器は、まだ完成していないのだ。
操作盤(コンソール)の上で野島主任は握りこぶしに力を込めた。
「物理的に〝彼女〟の通信手段を封鎖する!」
「まさか……増幅集積室(チャンバー)に入るつもりですか?」
「君たちは大深度施設の物理的凍結を頼む」
野島主任が研究所の扉に向かっていき、背を向けたまま一度、立ち止まる。
「すまなかったな、みんな」
誰も応えなかった。
「だが……〝彼女〟を売国奴(マゴット)に渡すわけにはいかんのだ」
言い捨て、野島主任は《響XⅢ号システム》の増幅集積室(チャンバー)へ向かっていった。気密扉のハンドルを回して、飛び込んでいく。
「主任!」
「そんな、防護服も着けずに……」
特殊硬化ガラスを隔てた向こう側では、高熱を放つ《響XⅢ号システム》に手斧を持って近づいていく野島主任の姿があった。
「カウントダウン、まだか!」
主任の姿を見ていられないというように、研究員が問う。応じるように、無機質な声が自爆のカウントダウンを開始する。
技術主任はなにか叫びながら、高熱に耐え、《響XⅢ号システム》の通信ケーブルを切断していく。
「《神の杖》、アクセス阻止!」
「やったか!」
研究員たちの弾む声を遮るように、 突然、彼らの脳内に少女の声が響き渡った。
(どうして……)
〝彼女〟の声を知覚した研究員たちが、互いに顔を見合わせる。
(どうしてあなたたちが死ななければならないの……もう人が死ぬのを、わたしは見たく……ない……の……に……)
まるで電波の悪いラジオ放送のようにぶつ切りになっていく〝彼女〟の通信は、大深度施設の自爆処理が進み、『オプト・クリスタル』が防護核へ収納されたことを物語っていた。
紅い輝きを放っていた《響XⅢ号システム》は燃料利得媒質(ペレット)を失って停止し、暗闇に包まれた。
全身に火傷を負った野島主任もその場に膝をつき、絶命した。
5、4、3、2、1……カウントダウンをつづけていた無機質な声が停止して、研究所が一瞬、静寂に包まれた。
次の瞬間、大深度施設内のありとあらゆる換気口よりコンクリートが流れ出した。生コンクリートはゆっくりと施設内を満たしていく。
進行していた筒状戦車兵器群もまた、コンクリートの濁流に飲まれ、活動を停止。施設内は、完全にコンクリートによって埋没してしまった。