【第5章 星を動かすもの】

第29話

《響22号》再稼働の時刻が迫りつつあった。

 管制室背後のガラスで仕切られた訪問者ギャラリーは、中間軌道修正を自分の目で確かめようとする人々で満員になっている。
 NASAのお偉方に加え、多くの軍関係者、なかには国会議員も姿を見せていた。

「コンポーネントはもう充分に冷えている。これ以上冷却する必要はないのではないか?」

《響22号》のコントロールセンターでエドワード博士が白河に声をかけた。

 第一回照射からすでに二時間以上が経過し、《LPHA》連結体の面発光のプログラムもヒューストンが準備を終えたとの報告があった。

 しかし──ここにきて《響22号》の増幅器のひとつで、プラズマが放つ熱が想定よりもこもる謎の現象が発生していた。
 冷却は終えていたが、システム異常の前兆かもしれないこの不具合を見逃さず、白河は最終調整の真っ最中だった。

「三重の冗長性を要求したのはNASAではありませんでしたかな?」

 白河は慎重にいった。

「しかし、《セクメト》は……」

 あと2時間ほどで地球と《LPHA》連結体、そして《セクメト》を結ぶ弾道は公転軌道の関係で照射ができなくなってしまう。
 2時間以上の冷却が必要となる《響22号》は、次の照射が最後のチャンスだった。

 それにギャラリーに詰めかけているお歴々の存在もエドワード博士を焦らせている一因だっただろう。
 金食い虫と批判されがちな宇宙開発は政治家を仲間入に巻き込まなければ立ち行かない。

 そもそも《響20号》の開発で、白河もそのことを身にしみてわかっているつもりだ。
 光響大が『D計画』に参加したのも、研究意義を世界に知らしめるためだ。

 だが、ここは自制するべきだ。
 ピーク出力2000兆ワットのレーザーを制御することは並大抵のことではない。
 そもそも連射することを想定していないのだ。
 本来だったら確認作業に一週間はかかるところを、職員たちは不眠不休で作業を続けている。
 睡眠不足は思考力を奪い、ミスに繋がる。
 だからこそ、ここは慎重になるべきだ。

「ヒューストンから、《響22号》を稼働するようにいってきている」

 と伝えるエドワード博士の声が遮った。

「危険です」

 白河は首を縦に振らなかった。

「しかし、われわれはこのチャンスを逃す訳にはいかない」

 エドワード博士も引き下がらない。

 光学部品への損傷を最小限に抑えるため、白河はあまり《響22号》に負荷をかけるべきではないと考えていた。
 超高強度レーザーの発振器や増幅器をはじめ、各種システムを起動し、きちんと調整するにはかなりの時間がかかり、充分に余裕があるとはいえなかった。

「では、条件付きで認めましょう」

 仕方なく譲歩した白河は、

「熱の異常検知があったら即刻、中止していただきたい」

 と要請した。

「約束しよう」

 条件付きの了承に、エドワード博士は笑みを浮かべた。

 こうして予定よりも一時間遅れて、再稼働へ向けた準備が進められた。

「全パラメータを計測。少しでも異常が認められたら、報告してください」

 白河が職員たちに言い聞かせ、レーザー照射にむけて下達の声が飛び交っていく。

(パルス変調)

 ふたたび稼働音を高めていく施設内をコントロールセンターから見下ろしたエドワード博士は、

「いけるな?」

 と職員たちに確認する。
 もはやコントロールセンターは白河の指揮下というより、エドワード博士に奪われた形になっている。
 船頭多くして船山に上るの故事通り、指揮系統の混乱が起きていた。

(30、29、28、27……)

 そんなギクシャクしたコントロールセンターでカウントダウンが進む中、

(17番コンポーネントで温度上昇を検知!)

 との報告の声が上がった。

「いかん!」

 思わず日本語で口走った白河は、

「稼働中止」

 と英語でまくし立てた。

「カウントダウンを続けろ」

 エドワード博士は白河の指示に覆いかぶせるようにいった。

 白河は自分の耳を疑った。
 戸惑う職員にエドワード博士はさらに

「続けろ!」

 と声を張り上げる。

(19、18、17……)

 とさらにカウントダウンが読み上げられるのを聞きながら、いつもは物腰柔らかな男の意外な剣幕を、白河は冷たい目で見つめた。

「……博士。約束と違いませんか」

「温度上昇は想定の範囲内だ」

 エドワード博士が抗議をあしらった。
 たしかに異常検知のビープ音は鳴り響いていない。

 しかし、これから15分に渡ってレーザーを照射するというのに温度上昇を検知していることはどこかコンポーネントに異常があるからだ。
 妥協するわけにはいかない。

 特に《響20号》のエネルギーを増設するためツギハギ的に2本のレーザーを追加した《響22号》には、冷却設計に不安があった。
《響22号》の施設のすべてを知悉する大熊がいてくれたら──ここを増やしたらここの修正が必要だ、というような細やかな開発が可能だったはずで……。

「いいですな、ドクター・シラカワ?」

 非情に徹した口ぶりでエドワード博士はいう。
 そんな博士の目を、言葉を失った白河がまじまじと見返す。
 博士は忍耐心を失ってはいまいか?
 これほどリスクの大きい方法を本当に利用することになるとは夢にも思わなかった。

「そうですか……」

 自嘲するような眼差しで天井を見上げた。
 もはやなにをいっても聞き入れてはもらえない。
 そうとなれば自分はこの場には必要ないだろう。
 白河はコントロールルームを出ていった。

 大熊がいれば任せておけたのだが、温度上昇が報告された十七番コンポーネントが気になった。
 白河はレーザー設備へ降りていった。

(エネルギー上昇、十億キロワット毎秒!)

 館内放送で流れてくるオペレーターたちの声を耳にしながら、白河は配管が這い回る施設を突き進む。
 この配管ひとつひとつに超高出力のガラスレーザーと、そのレーザーが発するプラズマ放電による熱上昇を抑える窒素ガスが流れている。

(間もなく実用臨界出力、二〇〇〇兆ワット毎秒!)

(レーザー照射まであと、五、四、三、二……)

(照射!)

 白河の代わりにエドワード博士が令した。
 22本の高出力レーザーが真空照射熔炉内で組み合わされ、1本の光軸へと収斂されていく。

 ふたたびシャイアン・マウンテン空軍基地から毎秒/1000発からなるレーザーが連射された瞬間だった。

 3億キロ離れた宙域まで到達するのに、約15分。
 軌道変更の成功の是非がわかるまでにさらに数10分。
 白河たちにとって、この遅延は永遠に終わらないのではと思うほど長く感じられた。

 けたたましいビープ音が施設内に響き渡ったのはそれから間もなくのことだった。
 白河は17番コンポーネットへ急いだ。
 近づけば近づくほど、警告音は鼓膜を圧するほどになっていく。

(センセイ)

 ふっと大熊の声をきいたような気がして、白河は一瞬、肩越しに振り返った。

 その刹那。

 突然、爆発の轟音が白河の五感を圧した。
 衝撃波で吹き飛ばされ、リノリウムの床にしたたか腰を打つ。
 炎が瞬く間に燃え上がり、警告音に消防警報の鐘の音が重なっていく。
 消化の散水が始まっていたが、燃え盛る炎には何の効力もなさそうだった。

「クマさん……っ」

 白髪を振り乱して、白河は炎上する十七番コンポーネントに向かった。
 大熊と共に作り上げた、《響22号》を燃やす訳にはいかない。
 考えるより先に体が動き、コンポーネントに駆け寄る。

 自殺行為だ、と駆けつけた職員に取り押さえられる。

「放しとくれ!」

 避難警告が鳴り響く中、燃え移っていく。
 白河の顔面を、燃え上がる炎の熱が指す。

 非引火性の窒素ガスが引火することはありえない。
 バルブが閉まって圧縮され、高圧状態になって引火したのか?
 あるいは……。

 推論が頭を駆け巡ったが、なにひとつ形とならずに、真っ白になった頭のなかに消えていく。
 途方に暮れることもできない空白を漂った白河は、消火活動をただただ眺めているほかなかった。