【第3章 日米共同】

第19話

「これはどういうことですか!」

 憤然とした眼差しで國場はエドワード博士に詰め寄った。

 いま博士の執務室には國場とエドワード博士、そしてエフゲニア女史が同席している。

 毎週行われている会議の席上、エドワード博士が発表したのが『D計画』の『プランB』──《響22号》の高出力レーザーを流用した、レーザー推進による宇宙機をぶつける軌道変更計画だった。

 米国はひそかに計画の代替案を進めていた。
 しかも日本の開発技術を流用した計画を。

「日本側が打ち上げの分担に難色を示しているんだ」

 さも残念そうに眉をハの字にしたエドワード博士は、諭すようにいった。

「もし日本がこの分担を拒否した場合、米国側が打ち上げ予定の二つのロケット計画が無駄になってしまう」

 2000兆ワットのレーザーを受け止める《LPHA》は300メートルを超す巨大な宇宙機だ。
 その打ち上げを可能とするために、宇宙空間でドッキングする構造になっている。
 もし日本が打ち上げに賛同しなければ、打ち上げた二つは最後のパーツが欠けたまま宙ぶらりんになってしまう。

「それでは我々も困ってしまう。現状の枠組みで実現可能な『プランB』を模索することは、当然のことではないかい?」

 と弁解がましくいった。

 そういわれてしまえば、國場には反論することはできなかった。
 宇宙計画において冗長性を備えておくことは常識だ。それが確保できないのであれば、『プランB』の検討は妥当なはずで……。

 しかし──はいそうですかと割り切れる話ではない。

「これでは、日本の技術を米国が利用していることになりませんか?」

「ドクター・クニバ!」

 とんでもない、というよういにエドワード博士が両手で制した。

「なにを言い出すんだ。あくまでこれは日米共同のプロジェクトのはずだ。日本側の功績もきちんと歴史に名が残る。それとも君は、このまま『D計画』が日本側の打ち上げ分担拒否で頓挫することを望んでいるのか?」

 ボールは日本側にある。
 そう告げるエドワード博士の真剣な目を受け、國場は視線を足元に落とした。
 拳に力を込め、

「なら、どうして 交渉期限を早めたのですか」

 と感情を抑えて尋ねた。

 日米共同で進めている『D計画』。
 米国側はその実現のために二回もロケット打ち上げを担当する。

 日本側への負担を求めてきたのも、計画を実現させるためではないのか?

 それなのに一方で、日本にとって実現不可能な調整スケジュールを突きつけて、計画を頓挫させようとしている……。

 その目的はなにか?
 いまや《響20号》、そして《LPHA》は日本の技術によって実現したものだが、いまは米国側の手の内にある。
 世界初の技術実証の機会を、日本の『D計画』ではなく、米国のプロジェクトにすれば、世界初の偉業を達成するのは米国ということになる。

 キーテクノロジーは日本の発明であっても。

「日本側の調整に時間がかかることは、これまでの経験でよく理解しているつもりだ」

 憐れむような眼差しになって、エドワードはゆっくりと首を横に振った。

「だが、我々に残された時間はあとわずかだ。打ち上げ計画は来年に迫っている。もしプランBへ移行させる場合、すぐにでも準備にとりかからねばならない」

「その前に、日本側の分担の確約をいただければいいだけの話です」

 黙って議論をきいていたエフゲニア女史が補足した。

「何か問題でも?」

 無理だ。
 遂行スピードで劣る日本が、すぐに結論を出すことなどできるはずがない。

 日米共同でプロジェクトが推進して以来、技術課題はすべて克服しようとしている。
 それなのに、国の思惑でプロジェクトが音を立てて崩れようとしている。

「とにかく、打ち上げは必ず日本側に了承させます」

 懇願するように國場はいった。

「ですから、無理を承知でお願いします。調整期限は伸ばしてほしい」

「それはできない」

 エドワード博士は毅然としていった。

「残念だが」

「ならば、こちらも《響22号》は引き上げるだけです」

「『プランB』において、使用を認めないということかね?」

 エドワード博士の目の奥で何かが動いた気配がしたが、それがなんであるか確かめる前に、とぼけた表情の下にすっと見えなくなった。

「しかし、日本政府はどう考えるだろうか?」

 うっと國場は言葉に詰まった。

「君個人の感情で、『D計画』を反故にしてもいいものだろうか?」

 狡猾な男だ。
 エドワード博士の本来の姿を知らされた今、こみ上げてきたのは怒りではなく虚しさだった。

 もはや自分にはどうすることもできない。
 自分は歯車のうちのひとつにすぎない。

「ドクター・クニバ。了承してくれるだろうか?」

 優越感を滲ませ、エドワード博士が背もたれに背を預ける。
 イニシアチブを掌握する者は常に勝者だと、その単純明快な理論を振りかざしている目である。

「はい……」

「ありがとう。引き続きよろしく頼む」

 敗北感にまみれ、國場は執務室を出た。

   *

 ケネディ宇宙センターの長い廊下で足を止めた國場は、窓外の空を見上げた。

 見えるはずのない《セクメト》が、この空の先に迫っているというのに、なぜ人間は足の引っ張り合いに終始しなければならないのか。
 
 やりきれない思いで溜息をついたところで、國場はヒールの靴音が近づくのに気がついて振り返った。
 
 にこりともせず、エフゲニア女史が近づいてくる。

「海底探査をするそうね?」

 突然の問いに國場は顔をしかめた。
 確かに加瀬の報告では御坂が民間企業から協賛金を募って墜落したロケットエンジンと《やたかがみ》の回収を計画していると聞かされてはいた。

「進捗のほうは?」

 続いて尋ねるエフゲニア博士に國場は、

「また偵察ですか?」

 と皮肉交じりに聞き返した。

「あら、失礼ね? 世間話よ」

 加瀬からの報告では、海底探査は始まっているものの、結果は芳しくないとのことだった。
 なにせ、落下地点は太平洋小笠原諸島の約600平方キロメートルと範囲は絞られていた。
 対して目標のエンジンは10メートルの大きさだ。

 しかも、太陽の光も届かない水深1000メートルの底での探索は困難を極める。
 これは東京都23区からある一軒家を、懐中電灯の光を頼りに探し出すようなものだ。

 だが、もし発見できればロケットエンジンの信頼性向上に直結する。
 日本の打ち上げ分担の説得材料になりえる。

 そのはずなのだが……。

「どうやら苦戦しているようね?」

 國場の胸の裡を見透かしたようにエフゲニア女史はいった。

「墜落直後ならまだしも、一年以上が経過していれば、例え潮の流れが穏やかな深海であろうとも、流されて捜索は困難を極める」

「ええ……加瀬も軌道計算で参加しているようなんですが、落下地点の絞込も苦労しているようです」

「提案がある」

 周囲に目を配ってから、エフゲニア女史は声を落としていった。

「落下地点の予測に、知り合いの研究者がスーパーコンピューターを提供するといってくれているわ。それに気象衛星画像の分析結果もね」

 エフゲニア博士が差し出したのは、3年前の打ち上げ失敗時の衛星写真だった。

「……どういうことですか?」

 思いがけない話に、國場はエフゲニア博士の顔をまじまじと見た。
 また技術が盗られるのではないか。

「言葉どおりよ。海底探査に協力したいの」

 そもそもエフゲニア博士は『プランB』を推進するプロジェクト担当者ではなかったのか?
 彼女が口にした言葉に別の意味が込められているような気がして、國場は警戒した。

「そうね、そういって信用してはくれないでしょうね」

 ここが肝心だ、というように國場に詰め寄った。

「私はフェアな戦いをしたいだけ」

「フェア……?」

 まだ彼女の意図が読めなかった。

「私は自分の計画に自信を持っている。しかし、他人のプロジェクトが頓挫して回ってきたなんて、そんなことは屈辱以外のなにものでもないわ」

 初めて見せるエフゲニア女史の表情に、國場は戸惑いながら、

「しかし、このことはエドワード博士は……」

 とためらいがちにこぼす。

「知らないし、知る必要もないわ。協力を申し出ているのは、NASA以外のわたしの友人たちですもの」

 さっと手を差し出すエフゲニア女史が、無遠慮な眼差しを國場に向けてくる。

「どうする? 乗る?」

 しばしの逡巡のうち、國場は「オフコース」とこたえて博士と握手を交わした。