【第3章 日米共同】

第12話

 翌週。
 日本時間午前6時からNASAと電話会議があった。

 朝早く相模原キャンパスに出勤した國場は、すでにパソコンを立ち上げ、準備をしていた加瀬と柊に迎えられた。
 時計を確認する。
 あと10分だ。

「柊さん、早いですね?」

 あくびを洩らしていた柊は、

「帰ってないんですよ」

 と首を回し始めた。

「御坂さんの話、きいたか?」

 並んで座る加瀬が声をかけてきた。
 含んだような言葉のニュアンスに、

「御坂さん? まさか辞めるとかいうんじゃないよな?」

 と國場は確認する。

《やたかがみ一号機》の打ち上げロケット開発を担当した御坂は、あの失敗のあと、精神的に追い詰められているようだった。
 八坂重工との共同開発で多額の開発費を無に帰してしまった重圧。
 さらに、せっかく柊たちが作り上げた《やたかがみ》を打ち上げることができなかった罪悪感……。
 御坂は打ち上げ記録を取り憑かれたように追う日々を送っていた。
 その姿はまるでいつ折れても不思議ではないか細い木の枝のようで――。

 挫折を経験しない研究者などいない。
 そんな慰めもためらわれるほどの落胆ぶりは、ずっと國場も気になっていた。

「辞表は上司が慰留して、御坂さんはしばらく休暇をとったらしい」

「そうか……」

 それ以上、適当な言葉が見当たらず、國場は黙り込んだ。
 打ち上げ失敗の責任はプロジェクトマネージャーの自分にある。
 あんなに前向きな御坂を追い詰めてしまったことに心が痛んだ。

「僕も米国に行く前に御坂さんと話をしておきたかったんですけど、なかなか時間が合わなくって……」

 柊がモジャモジャ頭をかきむしりながらいった。

「《やたかがみ》を打ち上げられなかったこと、ものすごく気に病んでいたみたいだったから」

「そうですね……」

 國場はさらに溜息を深くした。

「それにしても……NASAの共同運用の提案書。できすぎてませんか?」

 空気を変えるように、疑念の声を上げたのは柊だった。

「米国が打ち上げを担当、日本は《LPHA》と《響20号》両キーデバイスの開発と運用……つまり、タダ乗りさせてくれるということでしょう?」

「それだけじゃ済まない、ということですか?」

 眠そうにきき返したのは加瀬だ。

「向こうになにか下心がある、と?」

「そう思います。再交渉は米国のお家芸ですから」

「ロシアや中国、EUとの共同開発になる前に、接触しておきたかったのかもしれませんね」

 國場が推理する。

「日本と米国であれば同盟関係にあるし、レーザー兵器に転用可能な技術も共同開発ができるというわけですよ」

「なるほど……NASAも次世代エネルギー技術と軍事技術に直結するこのプロジェクトを日本以外とは組めない安全保障上の理由がある、というわけですね?」

 柊が顎に手を当てていった。

「中国はいまや原発大国ですからね。次世代クリーン原発もビル・ゲイツと一緒に開発しようとしていたくらいですから」

 6時5分前になった。
 國場は時計を確かめ、インターネット通話のアプリケーションを立ち上げた。

「ハロー、お久しぶりです、エドワード・グリーン博士」

 英語が堪能な加瀬が挨拶する。

「コンニチワ!」

 意外にも電話の向こうからは日本語であいさつが返ってきた。
 低い男性の声はNASAで打ち上げ計画を担当するエドワード・グリーン博士のものだった。

「意欲的なプロジェクトに参加できることを光栄に思うよ! 加瀬博士とは学会以来だね?」

 そこで日本側の出席者の自己紹介を済ませた。
 
「こちらからは、もうひとり参加させてもらっている。エフゲニア・リプニツカ博士だ」

 エドワード博士の紹介で「エフゲニア・リプニツカです」と名乗ったのは女性の声だった。
 ロシア系の名前がそう感じさせるのか、どこか冷たい印象を受ける。

「彼女は光子推進、レーザー推進の研究をしている、物理学者で工学者だ。彼女も同席させてもらうよ?」

エドワード博士が付け加えた。

   *

 米国に『D計画』の共同運用を提案すると、米国は「ぜひ協力関係を模索したい」と反応を示してきた。

 そこからはNASAとの駆け引きのはじまりだ。

 科学者出身の國場にとって、交渉ごとにはまるで疎かったが、プロジェクトマネージャーともなればそうともいっていられない。

『D計画』存続をかけた一世一代の交渉だった。

 國場の読み通り、開発が無駄にならず、しかも『世界初』の実績が手に入るプロジェクトに米国側はメリットを見出しているようだった。

 なぜならば〝当たることが確定した宝くじ〟に等しいからだ。

 だが予算面で米国頼みとなった『D計画』は当然、米国有利に進められていった。
 プロジェクトの運用、《響20号》の米国への移設、《LPHA》とその人工知能開発への参画――日本の技術供与、技術流出が心配される条件を飲まざるを得なかった。

 それでも、國場が最後までこだわったのは、『D計画』に日本の科学者を参加させることだった。
 自分たちの開発した技術を、他人に明け渡すのだけには抗った結果だった。

「才能のある君たちと一緒に仕事ができることを楽しみにしているよ」

そういってNASAとの電話会談は終了した。

   *

 2032年1月。

 NASAに『D計画』プロジェクトメンバーを立ち上げるため、國場たち日本側科学者が米国ケネディ宇宙センターへ赴くことになった。

「向こうで《響20号》を建造するって話、大学側は了承してくれたんですかい?」

 成田空港へ向かう特急電車で、大熊が尋ねた。

 光響大学の高エネルギー加速器研究室が開発したのが《響20号》だ。
 その目的はレーザー核融合による次世代クリーンエネルギーを日本発で開発することだった。
『D計画』を理由に米国に技術が流出してしまうのではないかと心配するのは当然の反応のはずだ。

「大学側も今回のプロジェクトの意義を認めてくれたんだ。ウチの大学は利益より、学術的意義を優先するからね。大熊電機もいきなり取引先にNASAが加わることになるんじゃないのかい?」

 白河はいたずらっぽく笑った。

「まったく、センセイのおかげですよ。米国に建造する新型施設の材料費調達のために、五億円の融資のお願いに行ったら、融資課の課長代理に『無理だ』って断られちまいました」

「規模がちがうからね。で、結局融資は受けられたのかい?」

「取引銀行を変えちまいました」

 それは痛快だ、というように白河は皺を刻んで口端を上げた。

「だとしたら、断った銀行は今頃、地団駄踏んでるだろうねえ」

「でしょうね」

 京都の下町工場にすぎない大熊電機が、NASAと取引をはじめ、宇宙開発に関わる工業部品を製造する。
 取引額も十億円を超える額にまで伸びている。

 だが、大熊には会社を大きくしようという野心はまるでないようだった。

 第一には技術者が不足している問題がある。
 大熊電機のエンジニアはそのほとんどが五十以上のベテランたちだった。

「そろそろ私たちも、後進を育てなくちゃいけないね?」

 遠い目をした白河が車窓を眺めながらつぶやいた。
 振り返れば大熊も五十代、白河は六十を過ぎてようとしていた。

「俺は一人娘すら、ろくに育ててやれてねえや」

 娘の寛子は京都駅で大熊を見送ってくれた。
 また二、三年――いや、下手したら今度は五、六年は会えなくなるかもしれない。

「戻ってきたら浦島状態ってことにならなきゃいいけどねえ」

 成田空港第二ターミナルに到着した電車を降り、大熊と白河は國場たちと合流すべく、出発ロビーに向かった。

   *

 午前10時。
 國場たちは京都から合流する大熊と白河を成田空港の出発ロビーで待っている。

「あれ……? 御坂さんじゃないか?」

 加瀬が目で指したのは、ちょうど第二ターミナルのロビーの向こう側だった。
 見ると悄然たる姿の御坂が、まるで生きたまま死んでいるような目をして歩いてくる。

「ご無沙汰してます」

 硬い表情で挨拶した御坂が、深々と頭を下げた。

「柊さん……ちゃんとお伝えできていなかった……《やたかがみ》の件、 本当に申し訳ありませんでした」

「そんな、やめてくださいよ」

 柊が両手を振って制した。それでも御坂は頭を上げようとしない。

「当初の計画とは大分変わることになるにしろ、なんとか『D計画』は継続することになったし。《LPHA》は米国で開発ができるようになった。しかも同時に三機も。日本単独のプロジェクトとは規模の違う計画に、正直、研究者として楽しみでしかたがないんです、僕はっ!」

 拳を奮って熱弁する柊に救われたような面持ちで、御坂は「柊さん……」と顔を上げる。

「日本じゃ、予算を確保するだけで一苦労ですからね。いやあ、《LPHA》の工学的価値を認めてくれているのが日本ではなく米国というのがなんだか複雑な思いではありますが」

「御坂さんは『D計画』のメンバーです」

 國場がいった。

「米国から進捗状況は共有させてもらいます」

「ええ……ありがとうございます」

 御坂に見送られ、國場たちは搭乗ゲートへ向かっていった。