【第2章 リフトオフ】

第7話

 2029年2月。

 多くの宇宙航空産業や天文施設を要す長野県・木曽根町に《響20号》の連続運用時間延長を目的とした高出力レーザー施設、通称『木曽根基地』が建造されたのは2027年のこと。

 それから2年──『D計画』の承認から数えればすでに4年が経過しようとしていた。

 ピーク出力2000兆ワットのレーザー連射性能を高めるべく、白河教授と大熊は日々、改良を重ねてきた。

 その甲斐あってか、一時間に一度しか稼働できなかった性能は、この四年間で大きく前進した。
 1秒間に100発の連射を可能にしたのである。

 ところが──。

 開発の壁にぶち当たったのは、稼働時間と冷却問題であった。

 1秒間に100発の連射を継続できる時間はたったの2分。
 その後、冷却に1時間を要する。
《セクメト》を軌道変更するためには、少なくとも10分の連続稼動がスペック的には求められる。

「中止! 中止!」

 実験棟でレーザー照射試験を見守っていた白河は、高調波変換の異常に気づいて声を張った。
 発振器の利得媒質を取り出し、作業台に運び込んで状況を観察する。

「やはり、利得媒質が原因ですか?」

 顎のあたりに手を当てて思案する防塵服姿の白河に声をかけてきたのは、同じく防塵服を着た大熊電機社長の大熊だった。
 京都・光響大で指導教授だった白河と出会った大熊は、いまは実家の稼業を継いで《響20号》の開発製造を支えてくれている。
 まさに大学と地元製造会社の二人三脚で開発してきたのだ。

「またやり直しだね、こりゃ……」

 白河は深いため息を洩らすと、いうことをきいてくれない鋼鉄の怪物──《響20号》の施設を遠い目で見やった。

《響20号》は複雑なコンポーネントの集合体だ。
 縦長の施設に這い回る配管には毛細血管のようにガラスレーザーロッド発振器があり、そのまわりを発熱を抑える冷水が流れ、冷却用の窒素ガスも管を通り、さらに増幅器を介して、円球の潜水艇を思わせる照射用真空溶炉器内に伝送。

 20本の高出力レーザーを一本に結束し、レーザー爆縮を起こす。

 膨大なエネルギーの奔流を制御し、連続運用時間を解決する鍵は利得媒質にあると、白河たちは考えた。
 利得媒質とはレーザーを生み出すための励起入力に使用する素材である。

 高エネルギーを制御するのは、熱との戦いといっていい。
 高エネルギーを生み出せば放電による熱がこもり、機能異常を検出してしまう。

 何度も実験が中止されているのも、この利得媒質が生み出すエネルギーの熱を制御できないことが問題だった。

 だが、問題解決のための技術革新は「はい、できました」と工期通りに生み出されるわけではない。
 一歩進んで二歩下がるの思いで研究に研究を重ねて、ようやく収穫を迎えるものだ。

「センセイ、大丈夫ですかい?」

 ふっと大熊の声が耳に入り、我に返った白河が、

「ああ、なんともないよ」

 と応じる。
 目頭を揉むと、蓄積した疲労を自覚させられる。

「信号周波数が安定しないからかもしれねいねえ……」

 当てもなく言葉にしてみる。

「利得媒質の濃度調整を再検討しますか?」

 別の案を大熊が提案してくる。

「いや、それもすべて試したんだったね……」

 と大熊の案も上の空で、白河が天井を仰いだ。

 もはやどん詰まりの状態であることは数式が書き殴ってあるホワイトボードが物語っていた。
 数式は利得媒質から飽和強度を得るための微分式だ。

「センセイ」

 それまでの業務上のやり取りとは打って変わって、親しみを込めた声で大熊がいった。

「研究室を出て、家業を継いだとき、俺はもう、考えるのをやめよう、夢を見るのは諦めようって思っていたんです」

 白河が語り始めた大熊を振り返る。

「なんだい、突然……」

「いや、まあ、ひとつ聞いてやってくださいよ」

 大熊は作業台に腰掛けて、微笑んだ。

「自分は次男坊です。
 本来だったら自分の好きな研究に没頭できる気楽な立場のはずでした。
 けど、兄が家を飛び出し、親父が死んじまって、そうもいってられなくなった」

 大熊は白河の教え子だ。
 会社の内情はよくわかっているつもりだった。
 先代から続く大熊電機の従業員は二十名に満たないが、製造技術は唯一無二のベテランたちだ。

 特に白河の研究室で使うレーザー設備はワンメイドのものも多い。
 職人たちの技術が必要不可欠だった。

「でも、センセイの研究のお手伝いをさせていただきながら……いつの間にか『D計画』に参加させてもらってる。
 不思議じゃありませんか?
 夢を諦めた人間が、また宇宙開発なんて大それたプロジェクトに夢を託している」

 大熊にとって、家業の製造業は決してやりたいこととは必ずしも一致していなかっただろう。
 そんな大熊の言葉には説教がましいところはなく、むしろ楽しんでいるように聞こえるから不思議だ。

「俺たちは、誰もが不可能だと思っていることに挑戦してるんです。
 腐らずいきましょうや」

 泰然と言い放つ大熊に、白河の瞳がわずかに揺れる。
 教え子に教えられていてどうする──自身を叱りつけるように、白河は心のなかでつぶやいた。

「クマさん、わたしだって愚痴は嫌いさ。
 そんなものは時間のムダだからね」

 疲れ果てた老人の姿はすでにそこにはない。
 一切の妥協を許さぬ白川教授の威信を取り戻した彼は、

「さっき試したこともやり直してみよう。
 条件付けを変えたら、違う反応があるかもしれない」

「そうでなくっちゃ、センセイ」

 すでに時刻は夜の十時を回っていたが、大熊は残業を大歓迎する勢いでこたえていた。